ボールデッドだ! ダイアナだけ許す 「競馬巴投げ!第165回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

20代の頃、社会科の教員をしていた

[写真1]シャイニングレイ 【写真:乗峯栄一】

 何度か書いたと思うが、ぼくは20代の頃、定時制高校の社会科の教員をしていた。4年間勤めたあと「作家になる」と大言壮語して辞めたのだが、いまでは早まったことをしたと一生最大の後悔をしている。

 公立高校の教員というのは61歳になると、自動的に共済年金(公務員)というのが支払われるのだが、共済年金というのは、いま色々と話題の国民年金(自営業)や厚生年金(サラリーマン)に比べると、驚くほどしっかりしている。別に何の手続きをしたというほどの覚えもないのだが、毎月8千円しっかり振り込まれてくる。月8千円だ。競馬場行けば2レースほどで使い切る金額だ。それでも「こんな少額、振り込んでもしょうがないですね」とは言わない。「あなたは何のかんの言いながら、4年間勤めました」と振り込んでくる。同級生にはしっかり35年教員をやってきた人間が何人もいるが、彼らはちゃんとした老後設計というのが出来ていることだろう。

 まあ自分で決断したことだ。自業自得だ。他人をねたんだり、羨んだりしてはいけない。年金が少なくても、その代わり、得たものもあるはずだ(と思うんだけど)。

教員を辞めた原因の5%は野球部の監督

[写真2]ダイアナヘイロー 【写真:乗峯栄一】

 ただ、どうにも納得できないこともある。

 ぼくが教員を辞めた原因の5%は野球部の監督をやってしまったことにある。「先生よお、野球部作ろうや」と、ある日、授業のあと、生徒たちに取り囲まれる。とても授業中には見られない熱心な彼らの態度だ。定時制高校のクラブ活動というのは、午後9時に授業が終わったあと約1時間やることになっている。下宿の遠いぼくなどは、それから電車に乗って帰っても風呂屋も行けなくなる。

「キミたちは翌日も朝から仕事があるんだから、体に負担をかけてはいけない。野球の練習は甘いもんじゃないからな。練習は火曜と金曜の週2回だけとする」

 ぼくには野球経験がなく、野球練習が甘いか、辛いかなど、全く分からなかったが、とにかく自分が風呂に行けないのは困る。生徒たちは「えー! 週2回だけ?」などと嘆息していたが。

 しかし何より嫌だったのは、試合のことだ。当時の大阪府定時制・通信制高校軟式野球大会というのは、春と秋の、ちょうど競馬GIシーズンに行われた。

 はじめのうちは「あ、セカンドゴロか」と相手バッターの打球を見ていたら、セカンドがトンネル。「ああ、ボテボテのセカンドゴロでランナー一塁か」と嘆いていたら、ライトまでトンネルして、セカンドゴロがランニングホームランになるという奇跡野球をやっていて、大会も一回戦で終わりだったのだが、そのうち変に強くなった。大会も準決勝ぐらいまで行くようになり、オークスもダービーも丸つぶれだ。「一番大切な日曜日なのに」と泣きたくなった。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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