堤聖也が井上拓真と戦いたい真の理由とは――? 不器用なボクサーが世界を争う場所までたどり着いた軌跡

船橋真二郎

堤聖也(右)は信頼を寄せる石原雄太トレーナーとともに井上拓真に照準を合わせてきた 【写真:船橋真二郎】

「僕がやり返したいと思うのは、拓真だけなんですよ」

 堤聖也(角海老宝石/28歳、11勝8KO無敗2分)は言った。世界4団体を日本人王者が独占するバンタム級の元日本王者、WBAとIBFの3位を最上位に4団体すべてでベスト10に入る。そのWBA王座に君臨するのが、「戦いたい」と堤がかねて公言し、照準を合わせてきた井上拓真(大橋/28歳、20勝5KO1敗)である。

 ともに1995年12月生まれ。生年月日がわずか2日違いの2人は、高校2年の夏に新潟市で開催されたインターハイ・ライトフライ級の準決勝で対戦。拓真が堤にポイント勝ちしている。

 もちろん、堤がアマチュア時代に負けた相手は拓真だけではない。同年秋の国体準々決勝では、今年5月6日の東京ドームで現WBA世界フライ級王者のユーリ阿久井政悟(倉敷守安)に挑戦した桑原拓(大橋)にポイント負けしているし、年が明けた春の選抜準決勝では、現WBO世界スーパーフライ級王者の田中恒成(畑中)に初回RSC負けを喫した。

 高校最後の国体準決勝では、2021年に日本人史上初の世界選手権覇者となる坪井智也に、平成国際大1年時の国体決勝では、のちの東京五輪フライ級銅メダリストで田中恒成の兄・亮明に、いずれもポイント負けしている。

 ほかの選手は同じ階級じゃないから、プロとアマチュアでフィールドが違うから対戦の現実味がない、ということではない。拓真への「もう一度、戦いたい」「やり返したい」という思いは、「ほかの選手に対するリベンジの気持ちとは違う」と堤は言う。

 だからこそ、「拓真だけ」なのだと。なぜか――。あらためて、堤聖也というボクサーの軌跡をたどると、その理由が見えてくる。

ボクサー・堤聖也の原風景

熊本の本田フィットネスジムで同時代を過ごした奥村健太トレーナー(右)と(2022年7月撮影) 【写真:船橋真二郎】

「中学生のときから根性ありましたよ。やられても、やられても、何度でも立ち向かってくるし、とにかく気持ちが強かったですね」

 ボクシングを始めた当時の堤について、かつてを知る角海老宝石ジムの奥村健太トレーナーに尋ねたことがある。奥村トレーナーが20歳、プロデビュー戦を5月末に控えていた2009年の春だった。所属していた熊本市の本田フィットネスジムに中学2年になる堤が入ってきた。

 しばらくして、毎日のようにスパーリングで手合わせするようになった少年は当然、力の差があり、まだ荒削りではあったが、めげずに食らいついてくる闘志がとにかく印象的だったという。堤自身、「ジャブもしっかり打てなかったですし、技術も何もなく、ひたすらガードを固めて前に出て。ただ殴って、殴られてでした」と振り返る、ボクサー・堤の原風景である。

「殴られるのが怖いとか、思ったこともなかったんですよ。だから、一発打たれても全然。一発打たれたら、十発打ち返せばいいと思ってました」

 当時の本田ジムには、奥村トレーナーと同い年で、のちに熊本のジムから初の世界王者、WBO世界ミニマム級王者となる福原辰弥がいた。中学3年になる頃には、のちにそろってミニマム級の世界王者となる2歳下の重岡優大、4歳下の銀次朗兄弟(ともにワタナベ)が空手と並行して腕を磨きにくるようになる。

 年上のプロボクサーやプロの卵たち、同年代の少年たちとスパーリングで思う存分戦えることが、堤には何より楽しかった。

“ヒーローごっこ”からボクシングへ

 小学生の頃はサッカーをしていた。といっても「兄貴と姉ちゃんがやってて、僕がやりたいと言って、始めたらしいんですけど、運動神経が悪いし、下手クソだから。練習も楽しくなくて、嫌いでした」。そんな3人きょうだいの末っ子が夢中になったのが「ヒーローごっこ」だった。

「戦隊もの、仮面ライダーとかウルトラマン、ドラゴンボール。友だちと“ごっこ遊び”をして、戦うことが大好きでした」

 が、楽しい時間は毎回、唐突に終わる。幼い日、同じような遊びをした誰しもに覚えがあると思うのだが、パンチやキックなどが間違って強く入ってしまい、決まってケンカになることが、堤少年は嫌でたまらなかった。

 思いきり戦いを挑めたのが「10歳近く上の親戚のお兄ちゃん」だった。あくまで遊びの相手をしてくれたのだが、歯が立つはずはない。「最後は泣かされて」、終わりを迎えた。それでも機会があると果敢に立ち向かい、そのたび悔し泣きを繰り返した少年時代だった。

 強くなりたい――。次第に思いを募らせていった弟に、本田フィットネスジムを教えてくれたのは兄だった。高校時代の同級生が福原だったのだ。

「まだ福原くんがデビューしたての頃ですよ。『俺の友だちがプロでやってるよ』と兄貴が教えてくれて。見学に行ったら、『面白そうだな』と思って。それが始まりでした」

 ルールがあり、同じ体重同士、同じ条件のもとで戦うボクシングこそ、まさに堤が求めていたものだった。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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