堤聖也が井上拓真と戦いたい真の理由とは――? 不器用なボクサーが世界を争う場所までたどり着いた軌跡

船橋真二郎

不器用さゆえにつくり上げられた独自のボクシング

堤はシャドーボクシングでも自然と右構え、左構えにスイッチする(2023年3月撮影) 【写真:船橋真二郎】

 堤の特徴のひとつがスイッチだ。つまり、右構えと左構えの両方を使いこなして戦えるということ。器用そうに聞こえて、実際のところは逆だった。

 フィジカルトレーナーの出身で、堤がプロデビューしたワタナベジム時代から現在に至るまで指導を仰ぎ、絶大な信頼を寄せる石原雄太・現DANGANジムトレーナーは愛弟子をこう評する。

「正直、運動神経はよくないです。何でも覚えるのが人より遅いし、できるようになるまで時間がかかりますね。その代わりできるようになるまで練習する。そういう気持ちの強さがあります」

 スイッチボクサー誕生の背景にあったのは、不器用さゆえの人一倍の努力だった。

 先に名前を挙げた奥村トレーナー、福原、重岡兄弟の全員がサウスポーであるように本田ジムは所属選手のほとんどを左構えで戦わせることで知られる。堤もそうだったのだが、サウスポーでスパーリングを始めても、いつの間にか慣れた右構えに戻ってしまう。また気を取り直して左に戻しても、どうしても右に。このぎこちない行ったり来たりが、スイッチを志向するきっかけになるのだから面白い。

 スイッチを自分のものにするために堤が取り組んだのが右構えと左構え、それぞれで同じ練習メニューをこなすことだった。単純に倍の練習量。いや、高校ではボクシング部の練習とともにジムでも練習に励んだから、もっとだろう。こうして独自のボクシングのベースをつくり上げた。

不可欠だったアマチュア時代への転機

 プロのジムで初めてボクシングを知り、プロボクサーに囲まれて育った中学時代の堤には当初、アマチュアという選択肢はなかった。

 転機となる出会いがあった。熊本・九州学院高で全国4冠、日大時代の全日本選手権、国体の各2連覇と合わせ、アマチュアで通算8冠を成し遂げた本田裕人さんが、堤の中学校で保健体育の非常勤講師をしていた。

「僕が『アマチュアなんて』と思ってる頃で、『高校には行かんで17歳になったらプロになる』とか言ってたんですけど。『プロには絶対にアマチュアを経験してから行ったほうがいい』と熱心に本田先生が勧めてくれて。ジムからも学校に推薦してもらえることになって。九学に行くことになったんです」

 結果としてアマチュアは堤にとって不可欠な時代になる。井上拓真はもちろんのこと、これも先に名前の出たユーリ阿久井政悟、桑原拓、田中恒成、坪井智也は同い年。世代別国内最多タイとなる5人の世界王者を始め、ほかにも有力選手を多数輩出してきた1995年度生まれの「1995世代」である。

 親戚のお兄ちゃんに始まり、ジムで日常的に拳を交えたスパーリング相手など、身近でリアルな存在をライバル、または目標とすることで成長し、自分の世界を広げてきた。彼ら“黄金世代”との出会いが堤をさらに大きくするのである。

後楽園ホールのトイレにこもって泣いた人生初の負け

石原トレーナーの構えるドラムミットにパンチを打ち込む 【写真:船橋真二郎】

 堤が「(ボクシング)人生で初めて負けた相手」は誰あろう阿久井だった。中学3年の8月、西部日本の予選を勝ち抜いて出場した「第3回U-15ボクシング全国大会」。堤の全国デビューは試合開始45秒、2度のカウントを奪われ、RSC負けであっけなく終わった。

「情けないし、恥ずかしかったですよ。ずっと(試合会場の)後楽園ホールのトイレにこもって、めっちゃ泣いたのを覚えてます。大学の途中まで、僕は結構、負けるとワンワン泣いてたんですけど。ボクシングの負けって、こんなに悔しいのかと思い知った、初めての経験ですね」

 そういう数々の悔しさをバネにして、堤が再び全国の舞台を踏むのは、高校1年の終わりの春の選抜だった。のちに角海老宝石ジムの先輩になる1学年上の山内涼太に準決勝で敗れ、3位の成績を残した。山内を決勝で破り、インターハイに続く2冠を達成したのが拓真だった。

 その選抜、インターハイともに拓真が“事実上の決勝”と呼ばれた準々決勝で勝利した相手が田中恒成だった。国体では決勝で雪辱を許し、1冠を譲った田中とともに、2人はすでに全国に名をとどろかせていた世代の旗手だった。そして、堤は次のインターハイで「戦うまでは“雲の上の存在”だった」という拓真と戦うことになる。

あの拓真と互角にやり合えた……

 堤の大会前の目標は3位だった。九州学院高の2学年上にウェルター級の澤江将樹さんという先輩がいて、高校チャンピオンを決めるインターハイで2年のときに残した結果が3位だった。まずは「すごい先輩」と同じ成績を残すことが、高校で最初に定めた目標だった。

 組み合わせが決まると、また別の目標が生まれた。トーナメントの同じ山に阿久井が入ったのである。互いに初戦となる2回戦を突破し、実現した2年越しの再戦は、「リベンジする気満々だった」という堤が明白なポイント勝ち。「人生初のリベンジ」を果たして勢いをつけると、続く準々決勝を勝ち抜いて3位も確定させた。流れとしては、これ以上ない形で拓真戦を迎えた。

 2分3ラウンド制の2ラウンドまでは、互角の攻防でやり合えたという。ラスト1ラウンドで引き離されてしまうのだが、「自分のパンチも当たるし、戦える」という確かな手応えがあった。決勝に進出した拓真は田中と最後まで激しくやり合った末に敗れる。この時点で2冠を分け合い、直接対決でも2勝2敗の五分としたトップ2に対し、「そこまでの差があるわけではないんじゃないか」と思えた。

「それから、絶対に超えてやろう、勝って、本気で優勝しようと思って、毎日、練習するようになったし、目標になりました」

 以降、拓真との再戦はならず、優勝にも手が届かなかったが、ずっと「あの拓真とやり合えた」ことで、自信になった試合と捉えていた。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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