堤聖也が井上拓真と戦いたい真の理由とは――? 不器用なボクサーが世界を争う場所までたどり着いた軌跡
気がついたらリアルな目標が世界に
「結局、当時の僕が知ってるプロは熊本のジムだけだったんですよ。高校3年間、アマチュアでやってきて、レベルがすごい高いし、楽しかったんで。すげえやつがいっぱいいるアマチュアで、あと4年間、頑張って、(ボクシングは)終わろうと思って大学に行ったんですけど」
堤を方向転換させたのは、やはりリアルな手応えだった。プロのジムに出稽古に行き、現役の世界チャンピオンたちとスパーリングをする機会があった。
「八重樫(東)さん、田口(良一)さんとかとやって。3ラウンドだったら、何とかなるんですよ。2人は中盤辺りから上がっていくタイプじゃないですか。スタートダッシュで勝負になるんです。それで『いけるんじゃないかな』みたいな。まあ、(井上)尚弥さんには3ラウンドでもボコボコにやられましたけど(笑)」
一方で、堤が大学2年になった年には田中恒成がWBO世界ミニマム級王者、井上拓真が東洋太平洋スーパーフライ級王者になり、翌々年には高校時代の九州大会で2度戦い、いずれも勝っていた比嘉大吾(現・志成)がWBC世界フライ級王者になる。
「1995世代」の活躍にも刺激され、プロへと心が傾いていくなかで向き合ったのが、あの拓真との試合だった。
「振り返ってみると『拓真相手にここまでできるんだ』って、あの2ラウンドまでで高校2年生の僕は満足して、自分に合格点をあげちゃったんじゃないかなって。当時の僕は認めてなかったというか、認めたくなかったんだと思うんですけど」
もとより不器用で、センスあふれるというタイプではない。人一倍の練習で培ったテクニックやパンチに気持ちを乗せ、闘志をぶつけるようにして勝ってきたボクサーのはずだった。「だから」と堤は続けた。
「あの試合は結局、自分に負けたのかなって」
もちろん、その心の持ちようが16歳の自分の限界だったということは、一昨年にボクシング人生で初の日本王者となり、当時は超えられなかった壁を超えた今なら分かる。それでも戦う上で自分の根っこになる信条を忘れたこと、勝負が決する前に満足してしまったことが許せない。唯一と言っていいぐらい思いを残した試合というのが拓真戦の真相だった。
目の前のライバル、目標に全力でぶつかりながら、ここまで来た。だから今、あの日の拓真を超えられなかった自分を超えたい。
「もう、世界戦が間近というところまで来てるじゃないですか。けど、自分がすごいところまで来たなっていう感覚はまったくないんですよ。ずっとリアルな目標を追いかけて、そのリアルが今、気がついたら世界になってた。そういうイメージです。リベンジと世界。両方つかめたら、最高ですよね」
日本王者としてタフな戦いを乗り越え、4度の防衛も果たした。心の構えは万全。思い描いたリングで、自分のすべてをぶつける日を心待ちにしている。(続く)