仲間との絆と気持ちが生んだ劇的ゴール 和泉竜司と“国立”の、忘れがたい思い出

今井雄一朗

厳しい千葉県予選を勝ち抜いた和泉竜司主将(右端)率いる市立船橋は、夢の決勝へとたどり着いた。 【写真は共同】

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奇跡的な巡り合わせの決勝戦。だからこそ湧いた「負けたくない」の想い

 国立競技場といえばサッカーの聖地であり、とりわけ“高校サッカーの聖地”としての印象は強い。開幕戦と準決勝、そして決勝の3試合のべ6チームのみしか立つことができず、時にプロの試合を超える数の観客が若者たちの青春と情熱に共感すべく足を運ぶ。毎年のように違った輝きを放つドラマがそこで生まれ、同時に悔しさの涙を我々は見る。日本サッカー全体を見てもトップクラスの大舞台に夢を見るサッカー少年は数知れない。

 現在、Jリーグの名古屋グランパスで活躍する和泉竜司は、そうした夢をつかんだ一握りの選手たちの中でも、特別に大きな経験をした男である。三重県四日市市の生まれだが、「親元を離れてサッカーがしたい」と千葉県の名門・市立船橋の門を叩いて“センシュケン”を目指した。2年次には夏の総体で全国優勝を果たし得点王にも輝いたが、強豪ひしめく千葉県大会の壁の前に1年生、2年生では全国選手権の芝は踏めず。「3年間で1回も選手権に出られなかったら、何しに千葉に来たのかわからない」という少しの焦燥感もありながら、迎えた2011年。名門校のキャプテンにも任命され、名実ともにエースとなった和泉は激戦の千葉県を勝ち抜き、ついに目標としていた舞台にたどり着く。

「実はあの年は、正直あんまりパッとしないチームでした(苦笑)。プリンスリーグも確か真ん中より下で(6位)、インターハイも全国には出ましたけど、初戦で桐蔭に負けた。勝負強さとか、そこまで自分たちに絶対的な自信はなくて。ただ、選手権に出ればいけるっていう、なぜか謎の自信はみんなにあって。出ればいけるぞ、みたいな(笑)。それはやっぱり千葉を勝ち抜くことの大変さもありましたし、特に僕の代は流経大柏に良いメンバーがそろっていて、強かったんです。県大会の決勝も延長でやっと勝てました。でもそこで自信を得たというか、良い流れはできたのかなっていうのは感じますね」

 始まった全国大会は初戦の長崎日大戦で2得点、3回戦、準々決勝は自身は無得点ながら順調に勝ち進み、準決勝では得点を挙げ勝利すると、決勝で待ち受けていたのはまさかの出身地、三重県代表の四日市中央工業高校だった。

「本当にすごい巡り合わせというか。しかも四中工のキャプテンは千葉出身の選手で、決勝は累積で出られなかったんですけど、お互いに同じ境遇だった。なかなかそういう展開もないと思いますし、本当に複雑な気持ちは正直ありました。絶対に負けたくないし、負けたら『お前は何をしに千葉に行ったんだ』って言われると思ってましたね。選手権の決勝なのでみんな当然のように気持ちは入るし、誰だろうとモチベーションは高くやれると思いますが、その中でも自分はまた違った想いというか、より負けたくないって思いになったのは、今でも覚えてます」

 決勝は今も語り草になるほどの劇的な戦いだった。開始1分で四中工の浅野拓磨が先制点を挙げ、市船はいきなり出鼻をくじかれる。「初戦で2点取れて自分は普段通りのプレーができていた」という和泉も、そのままじりじりと0-1が続く試合展開には焦ったというが、ここで初戦で得た経験がチームを支えた。

「初戦も決勝と同じような展開で、先制されてから後半の残り10分ぐらいで2点取って勝った試合でした。そうやって苦しんで勝てたことでチームとして士気が上がった部分もあると思いますし、初戦でそういう経験ができたので、まずは落ち着いてそれ以上失点しないようにして。最後まで諦めずにやれば初戦みたいに勝てるという落ち着きや自信がありました。実際その通りになるかはわからないけど、でもチーム全体としてバタついたり、焦ったりというのは、一度経験していたので、その後はなかったんです」

イメージ通りの2得点、普段の練習の成果が出た大逆転劇

0-1で迎えた後半アディショナルタイムに同点ゴール。延長後半には鮮やかな切り返しから逆転弾を叩き込んだ。 【写真は共同】

 残り10分に差しかかると「内心はちょっとやばいな」と思ってはいたというが、諦めはしなかった。関東の学校だけに三重県の相手よりは応援の数も多く、同級生や関係者、そしてもちろん後輩部員たちの大声援もその背中を押した。しかしそれでも追いつくことができずに時間は流れ、後半アディショナルタイムに突入する。ここが、劇的にすぎる大逆転勝利の始まりだった。90+1分のコーナーキック、和泉はゴール前中央付近に位置を取る。

「自分は基本的にはキーパー前でこぼれ球を押し込む役割だったので、常に予測して、どこにこぼれてきても触ってゴールできるようにずっと意識をしていました。しっかりボールだけ見て、でも正直、あの時は誰がどこにいるとか、キーパーの位置とかは全然わかってなかったです。とりあえずボールに触ろうっていう、その気持ちだけで。ボールが来たのはたまたま。でもそこに転がってくるまでに、他の選手が競り合って、コーナーキックを取ったプレーがあって、それが自分のところに来た。本当にみんながつないだ、本当に気持ちで押し込んだゴールだったのかなって思います」

 まずは同点。相手の四中工からすれば、ほぼ手中に収めていた優勝の栄冠がこぼれ落ちるような、絶望的な瞬間だっただろう。それは対戦相手にもしっかりと伝わり、市船は意気揚々と延長戦へと臨んでいく。前半はそれでもスコアは動かず、後半へ。迎えた105分、和泉が今でも得意とするDFの背後を取る動きから、歓喜の時は訪れた。

「DFの背後に斜めに走った時に、良いパスも出てきて。右から相手が来ているのは見えていたので、そのまま左足でシュートや、もうひとつ運んでという選択肢もありましたけど、できれば利き足の右で打ちたかった。そこでうまくヒールで切り返して、シュートもニア上を狙って。正直コースは甘かったので、GKには触られたんですけど、本当に気持ちで。気持ちで打ち込みましたね。毎回ってわけじゃないですけど、相手の逆というか、予測していないプレーっていうのは普段から意識はしていたので、それがあの場面で出たというのは、それまでの練習の成果だと思います。本当にあれはイメージ通りのプレーでした」

 そして「気持ちよさで言ったら、やっぱり一番じゃないですかね」と続ける。チームはそのままリードを保って終了の笛を聞き、優勝が決定。まさにその足で母校を全国制覇に導いた和泉だったが、意外なほどに心は冷静だったという。それは安堵の気持ちでもあり、また彼の貪欲さ、サッカーへの追求心ゆえでもあった。

「嬉しい気持ちと、高校生活最後の試合だという寂しい気持ちと。あとは次への気持ち。僕は明治大に進学することが決まっていたので、そのことへの思いだったり。いろいろな思いがあったのは覚えてます。だからほとんどの仲間が泣いて喜んでたんですけど、僕は泣けなくて。正直、そこで燃え尽きた選手もいたと思う。でも僕にとっては、それは目標にしてましたけど、ここがゴールじゃなかったので。優勝して嬉しいけど、もう次だっていう気持ちになっていました。次は明治大でどうすればプロになれるのか。そういう頭に、気持ちに、切り替わった。だから決勝ゴールを決めた時が一番、自分の中では感情が爆発してたのかなって思います」

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著者プロフィール

1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。以来、有料ウェブマガジン『赤鯱新報』はじめ、名古屋グランパスの取材と愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする日々。

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