【週刊グランドスラム292】新監督に聞く2025──number5小川 信(SUBARU)
「ディーラーに出向していました。それも、群馬県内だとある程度SUBARU野球部の知名度があるので、縁の薄い横浜です。当然、右も左もわからず、1年目はなかなか売れません。場慣れもしていないし、話の取っかかりもないし、どうしたらいいかがわからない。ですが、2年目からは、とにかくお客様のもとへ行き、どうやってその気になってもらうか知恵を絞るうちに、どうにか販売成績が上がっていきました。お客様のニーズや性格は様々で、一度成功した接し方が次も通用するとは限りません。それらに対応してきた経験は、監督としての選手の掌握にも通じるかと考えています」
2006年、富士重工業への入社は、小川によると「たまたま」だったらしい。日本大在学中に同期生と練習に参加した時、「たまたま」内容がよかったのだという。1年目から都市対抗予選に出場し、チームは4年続けて東京ドームに進んだものの、自身はなかなか出場機会に恵まれない。本大会になると予選で敗退した日立製作所、もしくは住友金属鹿島(現・日本製鉄鹿島)から中心選手が補強されてくるからだ。1年目は途中出場、2年目こそ1試合にスタメン出場したものの途中交代。バリバリのレギュラー二塁手として都市対抗に出られたのは6年目、2011年のことだった。だが、それ以降は主力として2013年の日本選手権、2014年の都市対抗と連続で準優勝。2014年には都市対抗の大会優秀選手、社会人ベストナインにも選ばれている。
営業職に就いたのは、2017年の現役引退後だった。コーチとして復帰したのは、チームが二大大会出場を逃した2021年のシーズン終了後。そして、今回の監督就任である。
「打診された時……正直言って、最初は驚きました。ですが、『おまえしかいない』と言ってもらえて、力になれるなら精一杯やろうという覚悟です」
監督になったからと言って、選手との接し方を変えるつもりはない。変わったな、と思われるのは得策じゃないと考えるからだ。
「これまでは、あまり話す機会のなかった投手陣とも、積極的にコミュニケーションを取るようにしています。ただ、選手と飲みに行くことは一切やめました」と、小川は笑う。
ディーラーでの経験も生かしてミラクル・SUBARUを率いる
試合は1対1の9回表、日立製作所に決定的と思われる2ラン本塁打が飛び出し、その裏のSUBARUの攻撃も簡単に二死。崖っぷちも崖っぷち、首の皮一枚もない。そこから意地の連打が出て一、二塁とするが、続く代打・龍 昇之介が初球をとらえた打球は、力なく右方向に飛ぶ。万事休す。三塁ベースコーチの小川の頭には、「終わったか……また取引先に電話しなくちゃ」という思いが過ったという。もし、この年も都市対抗出場を逃したら、責任を取る覚悟だった。だが、フラフラと上がったのがむしろよかったのか、打球は日立の二塁手と右翼手の中間にポトリと落ちる。スタートを切っていた走者が相次いでホームインし、SUBARUは徳俵から土俵中央まで押し戻した。
ミラクルはさらに続く。タイブレークの10回表に4点を失い、さすがにここまでかと思われた10回裏にも、二死から同点二塁打が飛び出し、一死満塁のピンチを凌いだ直後の11回裏には、ベテラン・日置翔兼が劇的なサヨナラ打を放つ。
絶体絶命から息を吹き返し、「もうダメか」という4点差を追いつき、そしてサヨナラ勝ち。5年ぶりの東京ドームでは、チーム名がSUBARUになって初めての白星を飾ったが、もしこの第二代表決定戦で敗れていれば……小川は今頃、それこそ凄腕のセールスマンとして、「取引先に電話」をしていたかもしれない。それが、新監督として指揮を執る。
「昨年コーチとして見ていた分には、投手は安定して力を発揮してくれていました。打線も、打てないわけではないんです。だけど、なかなか点につながらなかった。一発勝負を勝ち抜くには小技や、走者三塁での内野ゴロなど、ある程度スモールな野球も必要だろうな、と考えています」
SUBARUとしては、やや異例のバトンタッチである。ここ何代かは、都市対抗出場を逃しての監督交代が続いていたが、昨年の場合は2年連続で都市対抗の白星を記録しているのだ。
「だから、プレッシャーはありますよ」
そう言う小川。それでもSUBARUには、とてつもない重圧だったはずの「あの」日立製作所との試合で、ミラクルをやり遂げた実績がある。
【取材・文=楊 順行】
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