ラグビーの魅力と醸成された観戦文化 期待高まるスポーツビジネス界の発展
公益財団法人ラグビーワールドカップ2019組織委員会が、第3回日本スポーツビジネス大賞のグランプリに輝いた 【写真:魚住貴弘】
未知の世界へのチャレンジ
ラグビーワールドカップ日本開催が決まったのは2009年7月。10年の月日をかけて準備がなされた 【写真は共同】
嶋津: ありがとうございます。日本のスポーツビジネス活性化に向けた趣旨には賛同しますし、このようなご評価をいただいたことは大変ありがたいことと感じています。
今大会の開催が決まったのが2009年。私が着任したのが2014年ですので、大会誘致に関しては当時の関係者から聞いた話になりますが、ラグビー、スポーツの市場状況から考えると、ワールドカップ誘致は大変な決断だったと感じます。東京2020大会組織委員会会長の森喜朗さんを筆頭に、今は亡き日本ラグビー界のレジェンドである宿澤広朗さん、そして、こちらも残念ながらイラクでお亡くなりになった外交官・奥克彦さんなど、日本におけるラグビーの発展に尽力してきた方々の気持ちが一つになって今大会の誘致が成功しました。当時、2015年の第8回イングランド大会と2019第9回日本大会の実施が同時に決まりましたが、日本が後となり、10年の準備期間を取れたことは大きかったと思っています。
2013年の暮れに事務総長就任の打診を受けた際、私は一度お断りをしているんです。ラグビーについては素人。高齢だし外国語も不得手。とても事務総長には向きませんと申し上げたのですが、森喜朗さんに「ラグビーに通じた人間よりも、そうやって新鮮な気持ちで向き合えるあなたのような人がマネジメントをしたほうがいい」と押し切られたんです。私自身、自治省(現・総務省)で仕事をしてきて、総務事務次官を務めましたが、1998年長野オリンピック組織委員会の事務総長だった小林実さんや、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会事務総長だった遠藤安彦さんと、かつて自治事務次官だった先輩のご意見などもお伺いしてお引き受けすることになりました。
――実際にご就任されて感じたことは。
嶋津: ラグビーワールドカップの初期の認知度調査では、60代や70代の認知度は比較的高いものの、若者や女性への認知度が低いことに不安を感じたのは事実です。一方で、準備を進めていく中で、文部科学省、総務省、内閣官房など、政府・行政が熱心に支えてくれましたし、前向きな地方自治体も多かったことにも助けられました。私は元来楽天的な性格で、心細くて悩むようなこともほとんどなかったのですが、振り返ってみると周囲に恵まれていたと感じます。
約6年携わった準備過程の中で、2015年7月、設計変更のために新国立競技場が使えなくなったことは、非常に大きなつまずきでした。「Lost new national stadium」と世界中にも大きく報じられ、「アジアでラグビーワールドカップをやるのは難しいだろう」といくつかの国から代わりにやってもいいよと手が挙がったことを思い出します。また、最後の最後には、大会期間に入って大きな台風がやってきましたよね。この2つの事件が大きな山場だったと思います。ただ、これらも関係者が一致団結して協力することで乗り切れたことは印象深く、大きな手ごたえを感じました。
――2013年に東京2020大会の開催が決まりましたが、影響はありましたか。
嶋津: そうですね。2019年のラグビーワールドカップ、2020年の東京2020大会、そして2021年の関西でのワールドマスターズゲームと、3年連続でスポーツの国際的ビッグイベントが日本で開かれることが決まり、国内の認知度が高まったことはありがたかったです。東京2020大会組織委員会の武藤敏郎事務総長も旧知の関係ですし、日本ラグビー協会の森喜朗元会長がラグビーワールドカップ2019組織委員会の副会長でもあり、必要に応じて意見交換できたことが、われわれにとって大きな支えになったと思います。実際、オリンピックの規模感は比較にならないほど大きいですが、ボランティアの確保やICT活用の視点など、大会準備には共有すべき要素も多く、ラグビーワールドカップを成功させることが東京2020大会のためにもなると考えていました。
ラグビーの魅力が発信されたSNSの効用
ラグビーワールドカップ2019組織委員会で事務総長を務めた嶋津昭氏 【写真:魚住貴弘】
嶋津: 2002年FIFAワールドカップです。オリンピックとは異なり、単体競技のスポーツ国際大会で、北から南まで日本全国で開催するため自治体や地域団体との連携が不可欠。今大会の舞台となった会場を有する自治体の約半分がサッカーワールドカップも経験していたこともあり、当時を経験された方々から大きな協力を得られました。一方で、ICT活用などは当時と今で状況が大きく違いますから、初めて経験することが多かったのも事実です。
――現代におけるスポーツメガイベント開催では、より多角的な視点が求められます。各ジャンルの専門家やプロフェッショナルの力が必要な中、組織づくりや採用のご苦労などはありましたか。
嶋津: 私が事務総長に就任した際は、事務局の組織自体もひと桁の人数しかおらず、専用の部屋もないという状況でしたが、最終的には350人程度の組織となりました。政府や地方団体からの出向者に加えて、スポンサー企業をはじめ、マーケティングやオーバーレイ(仮設施設整備)など専門的な業務を担当する民間企業からも出向していただきました。それでも不足している部門の人材は組織委員会プロパーの人材としてリクルートしました。プロパーのスタッフは15%程度でした。
――今大会が成功したポイントはどこにあったのでしょう。
嶋津: スペクテーター(観戦者)の視点で考えても、SNSをいかにマーケティングに活用していくかは、今大会の大きなテーマでした。開催都市や各国のキャンプ地を担当した自治体における国際交流をはじめ、4年前のイングランド大会とは比較にならないくらいSNSの活用が大会を支えたと思います。SNSの閲覧回数は17億回を記録しましたが、これは過去大会と比較しても圧倒的な数字でした(前回大会の4倍)。ファンゾーン来場者の約113万人(前回イングランド大会は100万人)という数も大会史上最高となりました。国内におけるマーケティングの効果もあり、徐々に関心が高まり、最後は開催会場に入れなかった人たちがファンゾーンに集まりビールを飲みながらみんなで一緒にラグビーを観戦するという文化ができました。公式のファンゾーンではないパブなどでテレビを見ながらラグビーを楽しまれた方も含めて、観戦文化の醸成が今回大会の一つの成果だったと思います。
組織委員会もSNSを通じたマーケティング、チケッティングなどの専門チームが機能したことに加え、廣瀬俊朗さん(元日本代表キャプテン)らが始めたスクラムユニゾンのように、各試合会場で出場国の国歌などをみんなで歌おうといった子どもたちを巻き込んだムーブメントなども大きな効果があったと思います。SNS上で拡散された選手の紹介や地域住民との交流の様子も含めて、プラスの発信ばかりだったことも非常にありがたかったですね。
2015年大会の際にロンドンで初めて観戦して「ラグビーは奥深い」という気持ちになりました。日本代表が南アフリカに勝利した「ブライトンの奇跡」もスタジアムで観ましたが、ラグビーはこうやって人の心を揺り動かすのかと。私自身、ラグビー憲章に定められている5つのバリュー(品位、情熱、結束、規律、尊重)に心動かされるものを感じました。