連載:イチロー取材記 駆け抜けた19年

イチロー引退、3月10日の決断 普段と変わらない…あの日、あの場所で

丹羽政善

連載:第1回

2019年3月21日、イチローは現役引退を発表。アメリカで駆け抜けた19年を振り返る 【Getty Images】

「イ・チ・ロー! イ・チ・ロー! イ・チ・ロー!」

 3月21日、東京ドーム。その声は鳴り止まなかった。

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チームメートに伝えた「現役最後の試合」

 実況席にいたマリナーズのリック・リーズアナウンサーは、地元ラジオ局の番組を通じて、その様子を事細かに描写した。

「多くのファンが残って、イチローの名前を叫び続けていた。出てくるのか? 半信半疑だったけど、彼らは疑っていなかった。信じられない光景だった」

 その頃、舞台裏ではイチローが米メディアの取材に応じていた。

 延長にもつれ込んだ試合後、三塁側クラブハウスにつながる通路前にいると、マリナーズ広報のティム・へブリーが、「いつもチームを取材している米メディアはこちらに」と促した先は、三塁側のブルペンだった。

 そこへ通じる扉が空いたとき、少しだけ中の様子が見えたが、チームメートもまた、ユニフォーム姿で立っていた。

 そこへ至る経緯は、キャンプ中にコマーシャル撮影で使ったライトセーバーにサインをもらえないかとイチローにお願いをしたマルコ・ゴンザレスが教えてくれた。

「まず試合が終わって、クラブハウスに併設されているダイニングルームでイチローがあいさつをしたんだ」

試合後、イチローはチームメートにあいさつ。だが、そこでは引退という言葉を使わなかった 【写真提供:シアトル・マリナーズ公式インスタグラム】

 そのときに引退をチームに伝えた?

「イチローは僕たちに、『このメンバーで最後の試合をプレーできて光栄だった』と話し、『とても恵まれた野球人生で、現役最後の試合になる』とも言った」

 つまり、それが引退を意味した?

「引退という言葉は、使わなかったと思う。そういうことだとは分かったけれど。その後、会見をするというから、チームメートはついて行ったんだ。スマートフォンでその様子を写真に収めたり、ビデオを撮ったり……」

ケン・グリフィーJr.に促されて……

 その様子は、ブルペンの外からは知るよしもなかったが、そこへアスレチックスの監督で、2003年と04年にマリナーズの監督を務めたボブ・メルビンも現れ、扉の向こうへ消えていった。途中、イチローとは一番長くプレーしたフェリックス・ヘルナンデスが通路に現れた。その目が潤んでいた。

 イチローがフィールドに姿を見せたのはその会見の後だが、直前にこんなやり取りがあったという。

「あれは、(ケン・)グリフィー(Jr.)さんがイチローに近づいて『みんな外でお前を待っている。あいさつしてこい』って言ったんだ」

 教えてくれたディー・ゴードンはイチローが引退後に『シアトル・タイムズ』紙に感謝広告を掲載し、イチローへの思いを伝えたことでも話題になったが、“Mr. Griffey”と普段は使わないような丁寧な言葉を使いながら、そう裏を明かしてくれた。

 実際はその前に通訳からファンが残っていることを伝えられたイチローだが、そもそもイチローがあこがれ、メジャーリーグ挑戦の意思を固めるきっかけとなったグリフィーが最後、そこにいるというめぐり合わせは、偶然か、必然かと言えば、後者だろう。不思議な縁である。

 さて、そんな経緯を経てイチローが、クラブハウスからフィールドにつながる階段を駆け上がると、スマートフォンを手にしたチームメートが後に続く。三塁側のダグアウトから背番号51の背中が見えた瞬間、その歓声は地鳴りを伴った。

 それを聞いて慌ててフィールドに向かうと、イチローが場内一周を始めたところだった。

 三塁側のダグアウト前から、レフト、センター、ライトへとフェンス際をゆっくりと歩きながら、ファンに手を振る。その様子を三塁側のファウルグラウンドで見ていたが、ふと横を振り向くと、ジェリー・ディポトGM(ゼネラルマネジャー)が立っていた。

「言っただろ、『素晴らしい夜になる』って」

 その言葉の意味は次回で触れるが、「引退が決まったのはいつ?」と問いかけると、ディポトGMは「10日ほど前かな」と答えた。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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