屈辱から始まったイチローのメジャー人生 実力で変えた米国の価値観
連載:第4回
メジャー移籍当初は、屈辱的なこともたびたびあったというイチロー。実力を示すことで、今ではシアトル、そして米国で尊敬される選手となった 【Getty Images】
11時30分にクラブハウスが開く。かつてイチローのロッカーは入って正面にあり、そこには無造作にダンボールが積まれていたが、その場所でイチローがグローブを手入れしている姿、床に寝転がってストレッチをしている姿が、オーバーラップした。
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ケン・グリフィーJr.との不思議な縁
入り口付近にいると、ケン・グリフィーJr.がニヤニヤしながら近づいてきた。何かいたずらを仕掛けるときの顔である。
「ちょっと、見てろよ」
そのときイチローはロッカーの椅子に座り、ヘッドホンをしていた。だからこそ気配に気づかなかったのだろうが、後ろからそっと近づいたグリフィーが、後ろから両脇をくすぐった。
「グフォ$*%$#@」
奇襲されたイチローは声にならない声を上げながら、身体をよじった。再びニヤニヤしながら戻ってきたグリフィーはしてやったりの表情を浮かべている。イチローは後日、「だいたい、やることは決まってます。想像はつきますけどね」と苦笑。イジられるのは一度や二度ではなかったが、むしろ、そんな瞬間を楽しんでいるようだった。
「僕にそんなことするのは、あの人しかいないでしょうね。他の人間がやったら、ちょっと問題になりますから(笑)」
さて、少し振り返るだけで、かくも2人はさまざまな形で交差したが、3月21日、イチローが8回裏に交代を告げられて戻ってきたとき、最後にハグをしたのがグリフィーというのも何かの縁か。そして、あの試合後も――。
メジャー1年目に聞かれた屈辱的な質問
イチローは、キャンプイン前からアリゾナ州ピオリアにあるマリナーズのキャンプ施設で自主トレを始めていた。
キャンプが始まらないとメディアは施設内に入れない。イチローがどんな練習をしているかも分からず、練習が終わる頃を見計らって、選手駐車場の外で待つ。帰り際、そこで車を止めたイチローが、その日、どんなことをしたかを説明する。そうしてメジャー19年の幕が開いた。
その1年目のキャンプ。イチローはこんなことを覚えていた。
「2001年のキャンプなんかは(シアトルのファンに)『日本に帰れ』って、しょっちゅう言われましたよ」
引退会見で明かしたエピソードだが、イチローのキャリアをたどると、しばしば屈辱の歴史に触れることになる。オープン戦が始まると、こんなこともあったそう。
2010年9月23日、トロントで10年連続200安打を達成した日に思うところを聞かれると、「ひとつ言えるのは……」と切り出し、一息にまくしたてた。
「マイク・ハンプトン(当時ロッキーズ)というピッチャーがいましたけど、あのピッチャーと対戦したときに、割と早い段階だったと思いますが、『彼からヒットを打てると思いますか?』という質問が飛んできたんですよね。まあ、あの質問は一生忘れないです。最初は侮辱から始まりましたから。かなり侮辱されましたからね、スプリングトレーニングでは」
メジャーではそれなりに知られた好投手でもあったが、屈辱的な質問だった。振り返る言葉は怒気さえ含んでいた。それが10年でどう変わったか。
「今日、10年200本(安打)を続けて、ヒットが出ないと『何で出ないんですか?』という質問に変わったわけですよね。そういう状況を作れたことはすごく良かった」
こんな経験もしている。
「親戚のおばちゃんに、『こんな世界では絶対お前は無理だ』って言われて、最初ね。そのことはちょっと思い出しますね。従兄弟の結婚式で会ったんだけど。確率の問題を言ってましたね。やっていける人は少ないって話ですけど」
懐かしむかのように明かしたのは2011年のキャンプ初日のこと。言われたのは、本人の記憶によるとドラフト前日のことだそうだが、メジャーどころか、これからプロで、というときに否定された。
さらには、「小学生の頃、毎日野球を練習していると、近所の人から『あいつ、プロ野球選手にでもなるつもりか?』って、いつも笑われていた」という。「悔しい思いをした」と振り返ったが、日米通算ながらピート・ローズのメジャー通算安打記録(4256安打)を更新した2016年6月15日、誇らしげに言った。
「僕は子供の頃から人に笑われてきたことを、常に達成してきている自負がある」
屈辱と正面から向き合い、それを覆そうとする原動力は陰でイチローを支えた。