連載:イチロー取材記 駆け抜けた19年

イチローに近道はない。無駄を重ねてこそ シーズン最多262安打の記憶

丹羽政善

連載:第5回

2004年は262安打を放ち、メジャーリーグの年間最多安打記録を更新した 【Getty Images】

 3月16日午後。20、21日に東京ドームで行われる開幕戦を前にイチローと菊池雄星が並んで、記者会見をした。

 その席でイチローは、「まず3年しっかり結果を残して、そこでエースになってもらう」と菊池に注文を出している。

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メジャー4年目「初球を打つな」の指示

「その年のエースというのは毎年生まれるものですけど、3年やってしっかりそのチームのエースになる、ということはなかなかできることではないです。ただ、雄星の場合はその力が十分にあるということをみんなが感じていると思うので、まず3年、しっかり結果を残してほしいなと思います」

 イチロー自身、3年結果を出して、ようやく認められる、という思いがあった。それはオリックス時代に先輩から言われたことでもあったが、実際、メジャー1年目に首位打者と盗塁王に加え、新人王、MVP、ゴールドグラブ賞などを獲得し、オールスターゲームにも出場した。2年目、3年目も同様に、年間200安打、オールスターゲーム出場、ゴールドグラブ賞を連続で受賞するなど、実績を残した。

 むしろ、それは一種の義務だったのかもしれないが、同時にそうなって、調整を含めた自由を手にしたとも言える。2004年に262安打を放ち、メジャーリーグの年間最多安打記録を更新したのは、そんなことと無関係ではないかもしれない。

 もっとも、イチローが自由を手にするのは、もう少し先のこと。2004年の春、マリナーズはイチローに縛りを設けた。
「初球を打つな」

 何年か経って、当時の打撃コーチだったポール・モリターが、裏を明かしている。

「イチローの積極性を奪うつもりはないが、『初球はボール気味』がイチローの攻めのセオリーになっていた。それを見逃せば1ボール。振ってファウルになれば1ストライク。1ボールになるだけで、相手が2球目にストライクを投げる確率が高くなる。ベース上の勝負ならば、イチローに分があるからね」

 実際のところ、モリターは制限することに反対だった。ただ、彼の判断でもなく、ボブ・メルビン監督(当時)の判断でもなく、ビル・バベシGM(ゼネラルマネジャー/当時)の指示だった。

「四球が増えれば、もっと出塁率が上がるはず」という考えが背景にあるが、データで選手を支配しようとして失敗する典型的な例である。

 ディー・ゴードン(マリナーズ)もマーリンズでチームメートになったイチローに、「もっと四球を選ぶことを心がけて、出塁率を上げるべきだろうか」と相談した。彼もまた、四球が少なく、出塁率が低いと批判されていたのである。

 するとイチローは、こう答えたという。

「そんなことは気にせず、フィールド全体に強い打球を打て」

 ゴードンはこう振り返る。

「2015年に首位打者を獲れたのは、彼のおかげだよ」

 机上では成り立つ話でも、必ずしもフィールドでその通りのことが起こるとは限らない――。

「無駄なことをしないと伸びない」

 このことを深掘りすると、引退会見でイチローが、「頭を使わなくても、できてしまう野球になりつつある」と話したことにつながっていくわけだが、イチロー自身はあのとき、チームの方針を受け入れた。

「ある程度たくさんのピッチャーを見させてもらって、リスクを冒して1球目から攻撃しなくてもいいと考えられるピッチャーもたくさんいるわけですよ」

 あの年の4月半ば、遠征先のオークランドで初球に対する意識の変化を問うと、イチローは事もなげに言った。

「つまり、1ストライクと追い込まれてからでも、十分対応できるピッチャーっていうのはいますから。その人たちに対して、1球目から……もちろんチャンスもあるんだけど、そこでリスクを冒す必要性というのはだんだん少なくなってきたんですよ、僕の中では」

 ただ、結果が出なかった。四球うんぬんの以前に、ヒットが出ない。

 もっとも、それはイチローにとって想定の範囲内。毎年、「4月は助走期間」と話しており、慌てることもない。だが、上が焦った。結局、4月が終わると、方針を撤回した。再びモリターの回顧である。

「『自由に打ってもらって構わない』という話をした。そうしたら、途端に打ち出した。あれは私が打撃コーチとして与えた最高のアドバイスだった(笑)」

 あの経験自体、イチローはネガティブにとらえていない。年間最多安打を更新した2004年10月1日(現地時間、日本時間2日)、試合後の会見でこう話している

「僕にとっていい経験だったと思っています。決して無駄なことではないですし、野球っていうのは無駄なことを考えて、無駄なことをしないと、伸びない面もありますから」

 近道はない。無駄を重ねてこそ、たどり着けるところがある。このことは長く、イチローを支えた考え方ではなかったか。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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