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タイムフライヤーの比翼塚ダービー
「競馬巴投げ!第169回」1万円馬券勝負

目黒から移転後、今年は府中ダービー85年目

[写真1]ダノンプレミアム
[写真1]ダノンプレミアム【写真:乗峯栄一】

 日本ダービーは1932年(昭和7年)に目黒競馬場で始まっている。第1回、第2回を目黒でやって、どうにも手狭だし、都心過ぎるというので、第3回から、いまの府中競馬場に移転している。


 つまり1934年(昭和9年)から数えて、今年は府中ダービー85年目に当たる。で、今年がなぜ第85回ダービーなのかというと、昭和20年と昭和21年戦争の混乱で中止になっているからである。


 この目黒競馬場から府中競馬場への移転を最も悲しんでいるのは、タイムフライヤー(時間超越者)的に言うと、白井権八(ごんぱち)と遊女・小紫(こむらさき)である。


 ぼくは歌舞伎の名ゼリフ本というのが好きで、結構読むが、一番のお気に入りは、

「お若えの、お待ちなせえやし」

「待てとおとどめなされしは拙者がことでござるかな」から始まり、

「雉子も啼かずば討たれまいに、益なき殺生いたしました」まで続く、幡随院(ばんずいん)長兵衛と白井権八(ごんはち)のやりとりである。


 長兵衛も権八も江戸中期に実在した人物だが、男色を伴う二人の交流はほとんど歌舞伎狂言の創作らしい。しかしこの二人には大いに興味がわく。歌舞伎台本「幡随長兵衛精進俎板(ばんずいちょうべえ・しょうじんまないた)」はじめ、ちょこちょこと本を読んでみた。

権八と小紫の悲劇の比翼塚

[写真2]タイムフライヤー
[写真2]タイムフライヤー【写真:乗峯栄一】

 目黒不動尊という、東京でも屈指の歴史を持つ寺がJR目黒駅の西、約1キロの所にある。最澄の直弟子・慈覚大師が開いたと言われ、その歴史は約1200年を誇る。境内にはサツマイモで有名な青木昆陽の墓や、二・二六事件の理論的首謀者・北一輝の碑、水ごりをする滝や神社の鳥居などもあり、よく言えば広範な、悪く言えばごった煮的雰囲気の寺だ。


 しかしこの度量の広い寺にも入れてもらえず、門前で涙を飲んだのが白井権八とその愛人、遊女小紫である。


 白井権八は鳥取藩から人を殺した罪で逃げ、江戸に紛れ込むが、食うや食わずの中で辻斬りに明け暮れるようになる。斬り殺した武士・町人百数十人と言われ、結核を患っていた権八は本所、永代橋あたりで人を切るたび、返り血と自らの喀血で紅の羽二重をまとっていたと言われる。


 この権八に道ならぬ思いを寄せた者が二人いた。小紫と長兵衛である。町奴(まちやっこ)として既に町人たちのスターだった長兵衛は、品川鈴ヶ森の宿(しゅく)で江戸入り直前の権八が雲助に絡まれ、やむなく切り捨てるのを偶然目撃、通り過ぎようとする権八に駕籠の中から「お若けえの、お待ちなせえやし」と声を掛ける。さらに長兵衛は権八の美しい容姿にも一目惚れ、衆道(しゅどう、ホモセクシャルラブ)の道に迷い込む。


 吉原一の太夫・小紫も権八に一目惚れ(そんな男前がおってたまるかという気もするが)、小紫に横恋慕する旗本奴(はたもとやっこ)寺西閑心は「権八こそ自分を邪魔する不倶戴天の敵」とつけ狙うことになる。


 長兵衛はその閑心の横暴から権八と小紫を守る。ほんとは自分が権八のことを好きなのだが、そこをぐっと押さえ「権八さん、小紫と逃げなせえ」と金子(きんす)を与え、自分は閑心に切られる(いつの世もホモセクシャルは報われない)。逃げた権八も喀血で斃死(へいし)、小紫も権八の遺体の置かれた目黒不動尊の前まで追いかけて、そこで自害する。


 その権八と小紫の悲劇の比翼塚(ひよくづか、心中死した男女の墓)が目黒不動尊の門の前にある。あるという話だった。

乗峯栄一
乗峯栄一

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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