「河村効果」もあった逸材の千葉J入り “原点”を知る指導者が語った東山高・瀬川琉久の強み

大島和人

1月4日に瀬川琉久のプロ契約が発表された 【提供:千葉ジェッツ】

 BリーグはNBAやヨーロッパと比較して「選手のデビューが遅い」「平均年齢が高い」という特徴を持つ。有望な高校生の国内プロリーグ入りは野球やサッカーなら当たり前だが、日本のバスケットボール界ではかなり珍しい事例だ。

 東山高校の瀬川琉久(せがわ・りく)は渡邉伶音(福岡大大濠)と並ぶ高校バスケのスター選手で、ガードとしては現3年生で最高の評価を受けていた。2024年夏のインターハイでは東山を優勝に導き、ウインターカップもベスト4に進出している。それに先立つ5月には渡邉伶音とともに若手選手中心の日本代表候補合宿にも招集された。

 パリ五輪の男子日本代表は12名中7名がアメリカの大学でプレーした経験を持っていた。近年は特に「ドラフト1位級人材」のNCAA進学が増えている。留学でなければ関東の強豪という二者択一が一般的で、有望株の即Bリーグ入りは他に湧川颯斗(現三遠)しか事例が思い浮かばない。

 そんな中で1月4日、瀬川の千葉ジェッツ加入とプロ契約が発表された。

ロス五輪を目指して「国内プロ入り」を選択

池内勇太GM(右)は長い時間をかけて瀬川(左)の獲得にこぎつけた 【撮影:大島和人】

 記者会見で明かされた経緯によると、瀬川に対する最初の接触は高2の10月。そう考えると獲得交渉はかなりの「長期戦」だったことになる。

 渡邊雄太に続き、注目選手の獲得に成功した池内勇太GMはこう振り返る。

「かなり長い時間をかけて話をしてきました。お父様にも話しましたし、大澤(徹也)先生(東山監督)にも話しました。色んな選択肢がある中なのでしっかり考えてもらいたかったし、『こういった環境で、こういうことができるよ』とよく理解してもらいたかった。チームを作る上で、彼が入るか考えながら編成を作らないといけなかったので、このシーズンに絡めるであろうという構想を持ちながらやっていました」

 新戦力の獲得や、結果的にアルバルク東京に移籍した大倉颯太の去就に、水面下で瀬川の獲得は影響していたのだろう。瀬川本人は千葉J入りを心に決めた時期についてこう明かす。

「自分の中で千葉Jと決めたのはインターハイ前の6月、7月の頃です」

 日米の大学でなく、千葉Jを選んだ理由についてはこう述べていた。

「決断に至った理由は最初の目標である、次のロス五輪出場に一番近づける道だと思ったからです。最終の目標はNBAで活躍することです」

 ふと思い出したのは2022年3月に開催された河村勇輝の横浜ビー・コルセアーズ加入会見だ。彼は東海大を2年で中退してプロに転向したのだが、当時はこうコメントしていた。

「2年後のパリ五輪出場が僕の目標です。目標に近づくためにどうするか考えて、この決断に至りました」

 河村はそれを実現し、五輪を終えるとNBAメンフィス・グリズリーズとの契約を掴んだ。その存在は瀬川にとって、最高のお手本になる。

 池内GMは河村効果をこう言葉にする。

「瀬川選手は『A代表になりたい』とも言っていて、『それならばBリーグでやることが一番じゃないか?』と話しました。河村(勇輝)くんがNBAに挑戦して結果を出しているところも、追い風になったかもしれません」

 瀬川のNBA挑戦については、クラブの編成責任者としてこう口にしていた。

「次世代のエースとしてしっかり成長させて、海外挑戦もサポートしながら、一人前の選手にさせていきたい。それが千葉JのGMとして、日本のバスケットボールに関わる者としての使命だと思っています」

GMが語る瀬川の魅力

瀬川は渡邉伶音(右)とともにこの世代を代表する人材だ 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 池内GMは瀬川との出会いをこう振り返る。

「彼を初めて見たのが、中3のジュニアウインターカップです。千葉ジェッツU15も出ていて、私はその応援で行ったのですが、ゴッドドアが琉球と試合をやっていたのを見て『面白い選手がいるな』と思いました」

 瀬川が在籍していたゴッドドアは2022年1月に開催された「第2回Jr.ウインターカップ2021-22」を制している。神戸市東灘区で活動する街クラブだが、Bリーグの育成組織や私立中も参加する全国大会で、中学生年代のトップに立った。

 当時の琉球には高1でウインターカップ制覇を経験した平良宗龍(開志国際)がいて、ゴッドドアは2回戦で対戦している。ゴッドドアは64-62の激闘を制し、そのまま優勝へと駆け上がっていった。なお同大会に出場していた千葉JのU15には渡邊伶音、ゴッドドアが準決勝で対戦した奥田クラブには髙田将吾(福岡大大濠)がいた。

 瀬川は平均24.7得点、15リバウンドという抜群のスタッツを記録し、大会のベスト5にも選ばれた。東山高に進学後もハンドラー、シューターとしての強みを磨き、世代を代表する選手であり続けていた。

 池内GMは瀬川の魅力をこう説明する。

「得点能力、嗅覚みたいなものが本当にずば抜けています。あとまだ細いですけど、体幹が本当にしっかりしていて、なかなか高校生でこれだけ軸をブレさせずにプレーできる選手はいません。体幹がしっかりしていればケガをしにくくなるし、長くキャリアを積むことができるなと思っていて、その二つはかなり大きいです。あともう一つは、ハンドリング能力です。Bリーグでも彼ほどドリブルのスキルがある選手はなかなかいません」

 瀬川は184センチ・76キロと日本人のポイントガードとして見れば大柄だが、とはいえまだ高校生。単純に筋肉量を増やしていく必要はあるし、コンタクトやシュートの質はもっと上げられるだろう。ただ「体幹」「身体操作の感覚」は特別なものを持っていて、それは中学時代も同様だった。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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