新連載!栗山巧 独占手記「生涯つらぬく志」 プロ23年目で初めて抱いた感情を告白
「ファームでの気づきが確信に変わった」
一軍に復帰した6月4日、NPB史上15人目、球団史上初の通算400二塁打を達成した 【写真は共同】
西口監督の言葉通り、僕には想定以上の出場機会がめぐってきました。指名打者に入るだけでなく、レフトを守ることもあった。選手が足りない、という言い方にいつわりはありませんでした。
結果は思うようには出ませんでした。
いつか再び一軍で、勝負の打席に出ていく。相手は超一流の投手で、ライオンズにとっては絶対に逃せないチャンスの場面。そんな究極の局面で結果を出さなければならない。
僕はそう思っていた。だから、ファームの打席というものが、自分が戻るべき場所から果てしなく遠い場所のように感じていたんです。
ちょっとやそっとの内容では、一軍で結果を出すことにはつながらない。ファームにいる間に、一軍の監督が代わるということもありました。きっと方針も変わっている。そう思うと、ファームでやるべきこと、目指すべき方向性が見出しにくくなりました。
打撃の悩みはみんな同じ。そう気づけたことは、本当に救いでした。遠く感じていたファームの打席と一軍の舞台が、はじめて地続きになりました。
ここで感じている課題をきちんと解決できれば、きっと一軍でも結果は出せる。
やがて打撃の感触は戻り、遅ればせながら6月の交流戦で一軍に復帰できました。そしてすぐに結果も出せた。気づきは確信に変わりました。
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これならチームに貢献をしていける。なにより、ファンの方に喜んでもらえるような打席を重ねられる。
そんな手ごたえもありました。あとは固め打ちが出てくれば……そんなことを思っていた7月半ばに、新型コロナに感染してしまいました。
あの離脱は、本当に悔しかったです。
チームは低迷していました。まだわずかにクライマックスシリーズ進出の可能性はあった。そこをあきらめず、1試合、1試合とファンの皆さんにどれだけのものを見ていただけるか。
例年以上に、プロとして問われるところが大きいと感じていました。そんな中で、プレー自体ができなくなったのは、痛恨でした。
8月17日に一軍に復帰しましたが、コロナ前のように先発で出場する機会はなくなりました。チームも8月30日にはクライマックスシリーズ進出の可能性が消えました。
こういう状況で、ファンの皆さんのために何ができるのか――。プロとして、忸怩たる思いがありました。