“天才打者”秋山翔吾が選ぶ「凄い投手トップ5」 困惑した左腕、圧倒された右腕、現役NPB投手とは?
ルーキーイヤーだった2011年、西武時代の秋山。「やっぱり1年目の衝撃度が大きい」と語る 【写真は共同】
今回は、西武時代にシーズン最多安打記録を樹立し、侍ジャパンやMLBでもプレーした経験豊富な“天才打者”秋山選手が語った「凄い投手トップ5」を紹介したい。
※リンク先は外部サイトの場合があります
体感150キロに「これがプロのボールか」
最初に名前を挙げたのが、成瀬善久(元ロッテほか)だった。初めて対戦したのは秋山のプロ1年目となる2011年のオープン戦。秋山は「やっぱりアマチュアからプロに入った時のギャップ、衝撃度は大きかった」と振り返りながら、すでにロッテのエースとして名を馳せ、北京五輪にも出場した“招き猫投法”の変則左腕の投じたボールを次のように語る。
「全く力感がないところから投げて、130から135キロ届くかどうかのスピードガンのボールが、145とか150キロの体感だった。それぐらいギャップを感じたボールで、『これがプロのボールか!』、『これぐらい力感なく投げられる人とやっていくのか、怖いな』と思った」
そして成瀬の“球の見えづらさ”について、自身の困惑ぶりを改めて振り返る。
「当時は球が見えづらいのが、フォームなのか何なのか、まだわかっていないんですよ。今でこそ、成瀬さんの投げ方(手首を曲げて)ブラインドして(球が)隠れてたから見づらかったんだなってわかるんですけど、当時は何でこんなに(スピードガンと体感スピードに)ギャップがあるんだろうって。その衝撃度、凄いなと思いました」
通算5打数無安打4三振の右腕
対戦したのはプロ1年目の2011年のみで「対戦はそんなにない」と言うが、強く記憶に残っているのが、東日本大震災の影響によって開幕が遅れた中で迎えた4月26日、皇子山球場での対戦だった。
「西武の本拠地開幕戦を皇子山でやったんですけど、本当に覚えています。もう、真っ直ぐとフォークの見分けが付かなくて。もう(球種を)決めて打ったんですけど、次はフォークと思ったら真っ直ぐで見逃し三振、真っ直ぐかと思ったらフォークを振ってしまって…。WBCであれだけ打ち取れたのは、こういうところかと思った」
2011年は岩隈がMLBへ移籍する前のNPB最終年。秋山が克明に覚えていた皇子山での一戦で、岩隈は9回5安打13奪三振で完封勝利を挙げており、秋山は2打席連続三振で途中交代。結局、秋山は岩隈に対して通算5打数無安打4三振と、ヒットを1本も打つことができなかった。