衰え知らずの33歳 競泳・鈴木聡美「無心の境地で」パリでもねらう自己ベスト
100mでは青木玲緒樹との一騎打ちを0秒02差で制し、昨年7月の地元福岡開催だった世界選手権で14年ぶりに更新した自己ベストをさらに上回る念願の1分5秒台をマーク(1分5秒19)。200mでも渡部香生子、今井月ら実力者に競り勝ち、久しぶりの2分23秒台(2分23秒09)で好調ぶりをアピールした。
33歳での五輪出場は日本競泳史上最年長になり、年齢についての話題が先行する。だが、鈴木は五輪種目ではない得意の50m(平泳ぎ)でも昨年以降、自己ベストを複数回更新するなど30歳を過ぎてなお上向きな成長曲線を描いており、パリ五輪に向けて特に期待の膨らむアスリートの1人と言っていい。
栄光が重荷となり、競技継続を悩んだ日々も
山梨県甲府市内で取材に応じてくれた鈴木 【Masao KURIHARA】
だが、その後は成績が伸び悩み苦しんだ時期もあった。16年リオ五輪は平泳ぎ100mに出場するが、準決勝敗退。前回東京五輪は出場も叶わなかった。
当時の心境を鈴木は、こう振り返る。
「競技ではトップに立ちたいと思いながらも、普段はどちらかといえばあまり目立ちたくないタイプ。だから、ロンドン五輪でメダルを取れたのはうれしかったですが、過度に注目されることに不快感を覚えることもありました。
競技をするうえでもメダリストなら『勝たなきゃ、記録を出さなきゃ』という思いに捉われ過ぎていたというか、体は元気なのに気持ちだけが先走ってしまい、自分の泳ぎができなくなってしまった。日々の練習でさえ、ただしんどいと思うようになってしまい、自分とまったく向き合えてなかったですね」
競泳選手で30歳を過ぎても現役を続けられる選手は一握り。同期や仲間が引退する姿を多く見てきただけに、自身の進退について考えたこともあった。
「自分より若い子も、どんどん引退していきますからね。練習をいくら頑張ってもタイムが伸びずに“悲劇のヒロイン”ぶって、『このまま泳いでいていいのか?』『競泳をやめて会社に勤めるなど社会に出た方がいいのかな』と思ったこともありました。
年齢を重ねるなか、疲労の回復が以前より時間がかかるようになったと感じることもあります。ただ、ケガはまったくなく、練習では学生とほぼ同じメニューをこなしていて、タイムを競えば私の方が速い。そんななか『あれ? 私の衰えっていつだろう?』って思い、『じゃあ続けてみるか』って、ここまで来た感じです(笑)」
復活を印象づけた地元福岡での世界選手権
水面を這うように、速いテンポでどんどん水をかくのが持ち味だ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
ただ、東京五輪の出場を逃したことで、気持ちに変化が出た。
「(出場を逃し)余計なことを考えなくなったというか、練習の段階から自分がどうしたいのかを考え、自分自身と向き合えるようになり、それまでできなかったことが少しずつできるようになってきたと感じました」
そして、復調のキッカケは福岡での世界選手権の前年にあった。
「(22年12月の)ジャパンオープンでまったく結果が出ず(100mは1分07秒77で5位、200mは2分29秒15で7位)、このままじゃダメだなって。地元での世界選手権に対する思いはありましたし、監督やコーチに頼りっぱなしではなく、もう1度監督やコーチの意見を聞きながらも自分の納得する泳ぎがしたいと強く思いました。もちろん、それまでも(理想の泳ぎを)求めてはいたんですが、いろいろと考え過ぎてしまいうまくいかなった。そこで周囲の意見は聞きつつも、こだわり過ぎるのはやめようと思ったら、すべてがうまく回り出し結果にもつながった。
平泳ぎは(他種目に比べ)調子の浮き沈みが激しく、どこかが噛み合わなければすぐタイムに反映してしまうのですが、私の場合は9割がメンタル。うまくいかないとすぐ顔に出てしまいましたし、結果が出ない時期はそこがうまくいっていなかったんだと思います」
23年の世界選手権は、代表選考会で派遣標準記録にわずかに届かなかったものの、大会の参加標準記録は突破していたため救済措置によって5年ぶりに代表に滑り込み。100m予選で14年ぶりに自己ベストを更新すると、日本選手として初めて女子50m平泳ぎ決勝に進むなど復活を印象づけた。
「久しぶりの世界大会で、(上位8人の)決勝に残れたのは嬉しかったですし、パリ五輪に向けた大きな一歩になったのは確か。楽しかったですし、あの感動をもう1度味わいたいという思いが、いまもハードな練習を続けられている原動力になっているのは間違いないです」