中学時代にグローブを吹っ飛ばした仰天エピソードの剛腕ボクサー “ハマのタイソン”田中空がプロデビュー

船橋真二郎

大橋ジムからプロデビューする田中空(2024年4月2日) 【写真:船橋真二郎】

何かが宙を舞った――

 今も鮮明に脳裏に刻まれている光景がある。その瞬間、会場の視線が一直線に後を追いかけた。何かが宙を舞ったのだ。くるくるとリングの外に飛んでいった物体がグローブと分かり、後楽園ホールはどよめきに包まれた。試合は中断になり、リングの上でグローブを着用し直して再開。グローブを吹っ飛ばした少年が猛然と相手を攻めたて、レフェリーが2度目のカウントで試合をストップするまで、騒然とした空気が収まることはなかった。

 もちろん、グローブをしっかり紐で結び、テープで固定するプロの試合ではあり得ないことで、これは2015年9月に開催された15歳以下の「第8回U-15ボクシング全国大会」での話。使用するグローブがマジックテープ式だからこそのアクシデントではあったのだが、それにしても、この年代の全国大会に毎年のように足を運んできて、こんな仰天シーンと遭遇したことは後にも先にもあのとき以外にない。

 この少年が“ハマのタイソン”の異名を持つ大橋ジムの田中空。当時中学2年で、小学4年でU-15ボクシング全国大会に初優勝したときから、アグレッシブかつパワフルなファイトで会場を沸かせ、よく知られた名物的存在だった。今春、東洋大学を卒業し、6月25日、後楽園ホールでプロデビュー戦を迎える。

日本人初の世界ウェルター級王者を目指す

大橋ジムでプロ入り発表会見に臨んだ父・田中強士トレーナー、田中空、大橋秀行会長、田中将吾(2024年3月13日) 【写真:船橋真二郎】

「ボクシングを始めたときから、プロでやりたいと思っていて、やっと念願のプロになれるので、ウェルター級で日本人初の世界チャンピオンを目指して頑張ります」

 今年3月13日、東洋大学同期で主将を務めた田中将吾とともに大橋ジムで開かれたプロ入り発表会見に臨んだ田中空は宣言した。あどけなさが残る表情は少年時代のままだ。

 体重66.68kg以下のウェルター級は歴史的、世界的にも層が厚く、名だたる世界チャンピオンを輩出してきた激戦区。5月6日の東京ドームでWBO世界バンタム級王座を奪取した大橋ジムの先輩・武居由樹が歴代100人目の世界王者となったが、ミドル級までの13階級で唯一、日本のジムから世界王者がひとりも誕生していない。それどころか世界挑戦のリングにも、1970年代の辻本章次(ヨネクラ)、龍反町(野口)、1980年代の尾崎富士雄(帝拳)=2度、2000年代の佐々木基樹(帝拳)、計4人しかたどり着いていない難関の階級である。

 田中は身長165cmとウェルター級としては小柄で、体格的に決して恵まれているとは言えないが、「大学のときからウェルター級(アマチュアでは69kg以下)でやってきて、自分がいちばん動ける階級だし、目標の(ヘビー級としては小柄だった)マイク・タイソンのように大きな相手をどんどん倒していきたい」と意気込む。会見に同席し、プロでもコンビを組むことになった父の田中強士トレーナーは言う。

「減量でパワーが落ちちゃうのはもったいないですし、誰がいるから階級をずらすとかじゃなく、どんなに大変でも、もともとの自分のパワーを生かして、自分のベストを尽くせるところで戦えと言ってきたので」

 身長、体重ともにすくすくと成長していく小学生の頃、「これ以上、大きくならないでほしいんですよね」と、恐らくは世の親たちと正反対の思いを強士さんが祈るように毎年、口にしていたことを思い出す。「将来、世界を獲らせるためにも軽量級で」。それが“ボクサーの卵”の親たちが抱く一般的な願いなのだ。

 あらためて記録を見てみると37.5kg級で出場した小学4年から体重は年々増え、中学2年ではすでにライト級相当の60.0kg級だった。となると剛腕でグローブをリング外に吹っ飛ばしたエピソードは、ウェルター級挑戦へのプロローグであったようにも思えてくるのである。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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