大岩ジャパンはパリ五輪本番で別物に? アジア制覇に至った分水嶺と「18人枠」の行方

松尾祐希

アジアの頂点に立ったU-23日本代表。短い準備期間、思うようにならないメンバー選考の中で五輪出場権獲得に導いた大岩監督(中央)の手腕も称賛に値する 【Photo by Noushad Thekkayil/NurPhoto via Getty Images】

 パリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップで、4大会ぶり2回目の優勝を果たした大岩ジャパン。彼らはいかにして数々の試練を乗り越え、アジアの頂点に立ったのか。現地で代表チームに密着したライターが今大会を総括するとともに、8大会連続出場となる7月の五輪本番に向けて、オーバーエイジを含めた「18人枠」選考の行方を占う。

モチベーションビデオに流れた「86分の23」

 パリ五輪出場が懸かった現地時間4月29日のU-23アジアカップ準決勝、イラク戦。ゴール裏に陣取った日本のサポーターから、「アレ!アレ!アレ!ジャポン!」の声援が飛ぶ。2001年以降に生まれた選手たちには馴染みがないだろうが、これは1998年のフランス・ワールドカップを戦う日本代表を鼓舞するチャントとして、当時頻繁に歌われていたものだ。

 その懐かしいメロディに背中を押された若きサムライたちは、イラクを2-0で下して8大会連続となる五輪出場権をつかみ取ると、続くウズベキスタンとの決勝も制し、「アジアナンバー1」の称号を手にフランスへ乗り込むこととなった。

 思い返せば、パリ五輪を目指すチームが産声を上げたのは、今から約2年前の2022年3月7日だった。彼らの長い物語は、この日から始まった。最初の活動を終えた際、「A代表経由パリ五輪行き」を掲げ、選手たちにさらなるレベルアップを求めた大岩剛監督は、一方でこんな言葉も残している。

「インターナショナルマッチウイークにしか集まれないなかで、いかに足並みをそろえ、同じ方向に向かっていくか。そこは私を含めたテクニカルスタッフの役割だと思っている。そういったベースをしっかりと構築していきたい」

 A代表に専念するような選手の台頭を切望しながら、同時に指揮官は2年後のアジア最終予選、そして五輪本番を見据え、この世代特有の問題とも向き合っていく必要性を強く感じていた。

 昨今は10代で日本を飛び出し、ヨーロッパに戦いの場を求める選手も少なくない。最も大事な局面で思うように選手を招集できず、長い月日をかけてチームを構築しても絵に描いた餅となる可能性もあった。チーム発足当時、欧州組はGK小久保玲央ブライアン(ベンフィカ)やDF内野貴史(デュッセルドルフ)など数名だったが、大岩監督はここからさらに増えることを見越し、過去の五輪世代以上に“チームビルディング”に重きを置いていた。

 とはいえ、最終的に誰がメンバーとして計算できるかも分からない状況でチームを作り上げるのは簡単ではない。しかも、コロナ禍の影響で東京五輪の開催が1年後ろ倒しになった影響で、このパリ五輪世代は通常のサイクルよりも1年間短い2年強の準備期間で本番を迎えなくてはならなかった。

 大岩監督は実に難しい舵取りを強いられたが、しかしだからこそ、この2年間で86名もの選手を招集してきたのだろう。欧州組やJクラブで主力を担う選手はもちろん、出場機会が少ない国内組、さらには大学生も手元に呼び寄せている。東京五輪に向けては、4年半の活動期間で78名が招集されたが、それと比較しても圧倒的な数だ。

「旬の選手を見極める」と度々口にしていた指揮官は、台頭してきた選手がいればすぐに呼んで実力を見極め、その上で誰がチームに加わっても問題がないように、2年間一貫して同じ戦術スタイルで戦い続けてきた。守備時は4-4-2で前線からプレスをかけ、攻撃時は4-2-3-1もしくは4-3-3に可変。素早くボールを動かしながら、選手個々のアイデアも織り交ぜて崩すスタイルだ。またセットプレーにも力を入れ、攻守ともに多くの時間を割いて複数のパターンを習得させている。

 そうした取り組みが実り、大岩ジャパンは誰がピッチに立っても力が落ちないチームになった。想定通り、今回のU-23アジアカップは直前まで招集メンバーが不透明で、結果的にエース格のMF鈴木唯人(ブレンビー)、A代表にも定着したGK鈴木彩艶(シント=トロイデン)、さらにはサイドアタックで重要な役割を担っていたMF斉藤光毅とMF三戸舜介(ともにスパルタ)も、所属クラブの同意を得られずリスト外となるのだが、それでも最終決戦に向かう23人の招集メンバーは自信に満ち溢れていた。副キャプテンのMF山本理仁(シント=トロイデン)は言う。

「いろんな遠征でいろんな組み合わせをやりましたから。(大岩)剛さんもこうした状況を想定して戦っていたと思うので、そこにまったく不安はなかった」

 コアメンバーとして過去の活動に参加してきた選手の不在が、逆にチームに一体感を生んでもいる。大岩ジャパンはU-23アジアカップに向けて、4月8日から活動をスタートした。全員が揃ったタイミングで行われた最初のチームミーティングで、指揮官は「俺たちはU-23の選手たちの代表でここに来た」と切り出し、用意していたモチベーションビデオを流すのだが、その冒頭に映し出されたのが、“86分の23”という数字だった。

 大岩ジャパンの活動に参加した86人はワンチーム──。パリ五輪出場権を勝ち取る覚悟は、このミーティングで決まった。山本もこうコメントしている。

「これまで86人の選手が招集されてきたということを、今回のミーティングで初めて知った。より一層、日本の代表としてここに来ていることを実感したし、ここに来たくても来られなかった仲間の想いも背負って戦いたい」

谷口彰悟の発案だった初の選手ミーティング

負ければ終わりのカタール戦を前に、先輩・谷口の助言を受けたキャプテン藤田(中央)の声掛けで初の選手ミーティングを開催。これでチームに一体感が生まれた 【Photo by Koji Watanabe/Getty Images】

 近年レベルアップが顕著なアジアの戦いを勝ち抜くのは容易ではない。実際に今大会は、いくつ心臓があっても足りないような難しい試合の連続だった。

 中国とのグループステージ初戦は、1点をリードして迎えた立ち上がりの17分にセンターバックの西尾隆矢(C大阪)が一発退場。アディショナルタイムも含め、その後のおよそ85分間を10人で耐え忍ぶ試練を味わった。それでも2連勝でグループステージ突破を決めたが、1位通過を懸けたライバル韓国との第3戦は0-1で敗戦。これによって準々決勝の相手は“完全アウェー”の戦いを強いられる開催国カタールとなった。

 振り返れば、韓国に敗れてからカタール戦を迎えるまでの2日間の過ごし方と、カタール戦で見せた粘り強さが、五輪切符をつかむ上での分水嶺になったように思う。

 負ければパリ行きは完全消滅──。この厳しいシチュエーションを前に、選手たちは重圧に押しつぶされそうになっていた。明るい性格でチームのムードメーカー役を担っていた小久保も、こう述懐している。

「みんな口には出さなかったけど、全員がプレッシャーを感じていたと思う。僕もあんまり寝付きがよくなくて……」

 そうしたチームを覆う不安を振り払ったのが、韓国戦の翌日夜に行われた選手ミーティングだった。副キャプテンの1人、内野貴はこう証言する。

「(チームが立ち上がってから初めて)選手だけでミーティングする機会を設けた。各自が今思っていることを打ち明け、カタール戦にどういう気持ちで向かうのか、選手同士で話し合った。あのミーティングをやって本当に良かったと思う」

 やるべきタイミングを見計らっていたという選手ミーティングは、最終的にキャプテンのMF藤田譲瑠チマ(シント=トロイデン)と内野貴、西尾、山本、松木玖生(FC東京)の4人の副キャプテンによる判断で韓国戦後の開催に至る。実を言えばこれは、今大会の開催地カタールでプレーする谷口彰悟(アル・ラーヤン)から授かった案だった。大会前に宿舎を訪れて選手たちを激励した谷口は、その際に藤田と個別に話をして助言を与えたという。

「苦しい状況になったときに、みんなが何を信じて戦うのか。統一感を持ってやることが大事だと思う」

 のちにアル・ラーヤンの練習場で谷口が助言の意図を明かしてくれたが、やはり22年のカタール・ワールドカップにも出場した大先輩の言葉には説得力がある。結果的にこの選手ミーティングが、あらためて「チームの一体感とは何か」を考えるきっかけとなったのは間違いない。

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著者プロフィール

1987年、福岡県生まれ。幼稚園から中学までサッカー部に所属。その後、高校サッカーの名門東福岡高校へ進学するも、高校時代は書道部に在籍する。大学時代はADとしてラジオ局のアルバイトに勤しむ。卒業後はサッカー専門誌『エルゴラッソ』のジェフ千葉担当や『サッカーダイジェスト』の編集部に籍を置き、2019年6月からフリーランスに。現在は育成年代や世代別代表を中心に取材を続けている。

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