FA導入から30年 現代移籍史

“見切り発車”したプロ野球FA制度に見る問題点 MLBの制度設計と決定的に違ったのは……

中島大輔

今オフ、ポスティングでのMLB挑戦が有力視される山本由伸の去就に注目が集まる 【Photo by Koji Watanabe/Getty Images】

1993年オフに走り出したFA制度

 阪神対オリックスの日本シリーズが終わるや、日本のプロ野球は“ストーブリーグ”に突入した。

 オフシーズンの去就を表す言葉で、例年、最も注目されるのがフリーエージェント(FA)権の取得者とポストティングシステムでメジャーリーグ(MLB)移籍を目指す選手の動向だ。

 今オフ、FAになることを「宣言」した選手は7人。一軍登録が8シーズンになると取得できる国内FA権を行使したのが西川龍馬(広島)、石田健大(DeNA)、山﨑福也(オリックス)、平井克典、山川穂高(ともに西武)の5人。一軍登録日数が9シーズンになると取得できる海外FA権を行使した田村龍弘はロッテに残留を表明、松井裕樹(楽天)はMLBへの移籍を目指している。

 対して、ポスティングでのメジャー移籍を狙うのが山本由伸(オリックス)、今永昇太(DeNA)、上沢直之(日本ハム)だ。

 FAは選手に認められた権利であるのに対し、ポスティングにかけることを決めるのは球団だ。前者は1993年、後者は1998年に「日米間選手契約に関する協定」で導入された。ポスティングが遅れて設けられた背景には1994年オフ、日本球界を激震させた野茂英雄のドジャース移籍がある(この背景は連載2回目で述べる)。

 じつは、日本プロ野球選手会の要求を受けて日本野球機構(NPB)と球団側がFA制度について検討していた1990年代前半、同制度とポスティングを同時に導入するべきと主張した人物がいる。当時、日本ハムの球団代表を務め、FA問題等専門研究委員会という諮問委員会に名を連ねた小嶋武士だ。

 日本ハムの前身・日拓フライヤーズの買収に関わり、ヤンキースに留学して球団経営を学んだ小嶋は、当時の日本球界の“ドン”で読売新聞社社長だった渡邉恒雄に会った際にこんな忠告をしたという。

「FA制度を導入すれば、読売さんといえども、主力選手をメジャーに獲られますよ」

 2003年まで東京を本拠地としていた日本ハムの北海道移転を進めた小嶋には、日本球界の先行きが見えていた。

 一方、FA制度をどういう形で導入すべきか12球団の意見がまとまらないなか、賛成派が強引に意見を通し、1993年オフに同制度は見切り発車のような形で始まる。

日米のFA制度の大きな違い

FA移籍第1号となった松永浩美。FA制度が導入された初年度、宣言したのは有資格者の1割だった 【写真は共同】

 初年度の有資格者52人のうち(引退した8人は除く)、宣言したのは5人。松永浩美が阪神からダイエー(現ソフトバンク)、駒田徳広が巨人から横浜(現DeNA)、落合博満が中日から巨人、石嶺和彦がオリックスから阪神に移籍し、槙原寛己は巨人に宣言残留した。

 FA権が1割の対象者にしか使われなかったことは、関係者にも想定外だった。朝日新聞が事前に行ったアンケートでは取得予定の59人のうち56人が回答し、「権利行使する」と答えたのはわずか3人で、FA問題等専門研究委員会の外部委員でMLBに精通する池井優はこう答えている。

「条件つきとはいえ、50%程度は手を挙げると思ったのだが。初年度だから様子見ということだろうか。宣言しても引き取ってくれるかどうか、疑心暗鬼に陥っているのかもしれない。ともかく、制度では兄貴分のアメリカ関係者がこの結果を見れば、なんと少ないのだろうかと驚くだろう」(1993年9月28日付の朝日新聞記事「FAの壁は年齢・忠誠心 プロ野球59選手に朝日新聞社がアンケート」より)

 池井の言う条件の一つは、日本ではFA権の行使を「宣言」しないとフリーエージェント=自由契約にならないことだ。この点が日米のFA制度を大きく異なるものにした。

 MLBでは1976年、世界のプロスポーツで初めてFA制度が誕生した。球団に認められる「保留権」――契約を更新するか否かの判断が球団側のみに与えられる権利で、選手は拒否することしかできない。こうした制度に対し、「選手は人間であり、商品ではない」とメジャーの選手会は抗議し、一定条件を満たせば自分の意思で所属球団を決められるFA権を勝ち取った。八軍からなるMLBでは、一軍にあたるメジャーリーグで6年の登録日数を満たせば“自動”でFAになる。

 日本では遅れること17年、同制度が誕生した。詳細をどうするか、FA問題等専門研究委員会が参考にしたのはMLBの“その後”だった。

「我々の二の舞は避けなければいけない。この制度にはいろいろ問題がある」

 小嶋はMLBのコミッショナーや、日本ハムと提携していたヤンキースからそう忠告されたという。MLBの平均年俸はFA制度を導入した1976年に5万ドル強だったのが、1988年には44万ドル弱に拡大。年俸が高騰するなか、財力の豊富な球団に戦力が集中したからだ。

 日本でも同様の事態が起きることは容易に予想された。にもかかわらず、万全の対策をせずにFA制度をスタートさせたのが“見切り発車”と前述した意味だ。

 当時の選手会は顧問弁護士もいない状況で、球団側は自分たちの有利にFA制度を設計した。選手会は大卒・社会人出身者の権利取得を7年と要求したが、球団側は10年を主張。さらにFAを「宣言」させるという“踏み絵”を設けた。

 選手会は悲願のFA制度のスタートを第一優先し、細かい内容は導入後に改善していけばいいと結論を出した。そうして1993年9月21日、以下の条件で最終合意に至っている。

(1)1シーズンの一軍出場登録150日以上で、10シーズンで資格を得る
(2)FA選手を獲得した球団は失った球団に補償する。人的補償の場合は、40人の固定選手を除いた30人の中から、失った球団が要求する選手1人を譲渡し、FA選手の旧年俸と同額の補償金も払う。金銭だけの場合の補償金は、旧年俸の1.5倍とする
(3)FA選手の新年俸は1.5倍まで。低年俸の選手はこの限りではない
(4)権利行使は何度でもいいが、一度行使したら3年はその球団に在籍しなければならない
(5)1 球団当たりの獲得可能人数は、FA宣言選手が20人までなら2人、21人以上30人までなら3人、31人以上40人までなら4人、41人以上は5人まで

(1)の条件は後に緩和されるが、FA権を行使する選手は発足当時から30年後の現在まで極端に少ない。

 今オフのFA権保有者は106人で、そのうち自らの意思で引退したのは松田宣浩(巨人)、藤田一也(DeNA)、福田永将、堂上直倫、谷元圭介(いずれも中日)、荒木貴裕(ヤクルト)、三木亮(ロッテ)、木村文紀(日本ハム)の8人。海外FA権を取得した中田翔(巨人)はオプトアウト(opt out)し、残りの契約を破棄して自由契約になることを自ら選択した。

 FA権がほぼ使われない理由は、水面下で「タンパリング」(事前交渉)が行われていると見られることも大きい。日本プロフェッショナル野球協約の第73条で禁止されているが、日本球界では“公然の秘密”として行われているとほのめかす球界関係者が多く存在する。

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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