2年の時を経てつかんだワールドカップの出場権 U-20日本代表・北野颯太が抱いていた知られざる想い

松尾祐希

特別な想いを持って挑んだ今大会。北野にとってワールドカップ出場は悲願だった 【Photo by Zhizhao Wu/Getty Images】

 5月20日に幕を明けるU-20ワールドカップ。インドネシアで開催される大舞台を目指し、U-20日本代表は予選を兼ねたAFC U20アジアカップを戦っている。アジアの出場枠は本大会の開催国であるインドネシアを除いて4つ。今大会の準決勝に進出したチームに与えられるなか、冨樫剛一監督率いる日本代表は準々決勝でU-20ヨルダン代表を2-0で下して無事に3大会連続11回目の出場権を手に入れた。

 試合後、スタッフと選手たちは歓喜に沸いた。もちろん、戦いはまだ終わっていない。アジアNo1の座をつかむミッションも残っている。しかし、この時ばかりは選手たちから笑顔が弾けた。出場決定の集合写真をピッチ内で撮影し、その後はその脇でそれぞれ記念撮影を行うなか、ワールドカップ出場決定の喜びを誰よりも噛みしめていた選手がいる。C大阪でプレーするFW北野颯太だ。

早くから将来を嘱望されていた男を突然襲った悲劇

 C大阪U-18でプレーしていた高校1年次にU-23チームでJ3デビューを果たし、高校ラストイヤーとなった昨季はトップチームでもプレーし、ルヴァンカップではプロ初ゴールをマーク。各年代の世代別代表にも継続して選出されており、早くから将来を嘱望されていた。しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではない。キャリアだけを見ればエリート街道を歩んできたように見えるが、幾多の壁に阻まれながらも前に進み、周りの人に支えながら成長を遂げてきたからだ。

「改めて色んな人に感謝をしないといけない」 試合後に発した北野の言葉にはいろんな想いが詰まっていた。

 クラブで様々な人にお世話になった。高校2年次の春にはSBで試され、サッカーを辞めたいと思うほど悩んだ時期もある。「セレッソでそういうこともあった」と今では懐かしそうに笑うが、アタッカーとしてずっと生きてきた当時の北野からすれば、当時の落胆は想像にたやすい。それでも、多くの人のサポートを受けて努力を重ね、再び前線で起用されるまでに成長を遂げた。

 代表活動でも悔しい想いを味わっていたが、ここから予想もできない出来事が起こっていく。

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著者プロフィール

1987年、福岡県生まれ。幼稚園から中学までサッカー部に所属。その後、高校サッカーの名門東福岡高校へ進学するも、高校時代は書道部に在籍する。大学時代はADとしてラジオ局のアルバイトに勤しむ。卒業後はサッカー専門誌『エルゴラッソ』のジェフ千葉担当や『サッカーダイジェスト』の編集部に籍を置き、2019年6月からフリーランスに。現在は育成年代や世代別代表を中心に取材を続けている。

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