2年の時を経てつかんだワールドカップの出場権 U-20日本代表・北野颯太が抱いていた知られざる想い

松尾祐希

森山監督との出会いとU-17ワールドカップの中止

待ち焦がれたワールドカップへ。北野は3年間の時を経て世界の舞台に立つ 【Photo by Zhizhao Wu/Getty Images】

 2019年に北野はU-15日本代表の一員として、U-16アジア選手権(現・AFC U17アジアカップ)予選を戦っていた。福井太智(現・バイエルン)らとともに全勝で首位通過を決め、ワールドカップの最終予選に相当するU-16アジア選手権への出場権を獲得。自身もエースとして活躍し、2得点の活躍で存在感を示した。ただ、当時は攻撃に重きを置く選手で、守備面や献身性といった面では課題が多かった。今でもU-16アジア選手権の一次予選の出来事は覚えている。

「ボロクソに一次予選で言われていました。突破を決めたのに最後の試合後に急遽ミーティングになって、森山佳郎監督にめちゃくちゃキレられたんですよ。めっちゃ喜んでいたのに急に呼ばれて…。『足がつってるようじゃあかん』って言われたんです」

 そうした叱責は期待の裏返しだ。世界で戦う選手になるために森山監督は発破をかけたのだが、その助言を理解して体現できるようになるのはもう少し後の話。当時は言葉を飲み込むことしかできなかった。

 そんな矢先、2020年の春先に新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、ことごとく大会が中止に。クラブでの活動も制限され、代表チームも身動きが取れなくなった。2020年の秋に開催予定だったU-16アジア選手権は中止となり、21年の秋に予定されていたU-17ワールドカップも実施できず。
「当時はU-17ワールドカップに出場して、U-20ワールドカップにも出る。これが当時の自分が思っていたことなんですよね」
 世界を経験し、成長スピードを加速させていく。しかし、描いていた青写真は実現できず、やり場のない悔しさを噛みしめながら日々を過ごした。

3年間の経験を無駄にせず、大一番で全得点に絡む活躍

 あれから2年。ウイルスとの戦いも落ち着き、平穏を取り戻しつつある。サッカー界も通常のスケジュールに戻り、U-20ワールドカップに向けて動き出した。北野はU-20日本代表の一員として昨年9月の予選突破に貢献。AFC U20アジアカップのメンバーに選出され、今大会は10番を背負って主軸としてプレーした。その一方でグループステージは苦戦。得意のドリブルやフィニッシュワークは影を潜め、「結果が欲しい」と何度も口にし、無得点に終わった自身を戒めるコメントを残していた。それでも、2戦目で先制点のPKにつながるスルーパスをMF松木玖生(FC東京)に送るなど、復調の兆しが見えていたのも事実。だからこそ、この準々決勝は結果を残したいと強く願っていた。

 その結果、全得点に絡む大活躍。左サイドを抉って坂本一彩(岡山)の1点目をアシストし、キレのあるドリブルで中に切れ込んでミドルシュートでGKのファンブルを誘い、FW熊田直紀(FC東京)の得点をお膳立てした。

「得点は欲しい。欲を言えば」と悔しさものぞかせたが、準々決勝で10番としての矜持は示した。また、この日は守備面でも貢献。相手にプレッシャーをかけ続け、森山監督から指摘されていた課題も克服して成長の跡を残した。

 この3年はコロナ禍で思うように過ごせなかった。しかし、その時間は決して無駄ではない。ようやく、つかんだ大舞台にチャレンジする権利。アジアNo1を勝ち取り、北野は本大会でもメンバー入りを果たしてさらなる飛躍を誓う。
「結果として無駄じゃなかったというのを見せていきたい」
 自らの足で壁を乗り越えてきた10番の挑戦はまだ始まったばかりだ。

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著者プロフィール

1987年、福岡県生まれ。幼稚園から中学までサッカー部に所属。その後、高校サッカーの名門東福岡高校へ進学するも、高校時代は書道部に在籍する。大学時代はADとしてラジオ局のアルバイトに勤しむ。卒業後はサッカー専門誌『エルゴラッソ』のジェフ千葉担当や『サッカーダイジェスト』の編集部に籍を置き、2019年6月からフリーランスに。現在は育成年代や世代別代表を中心に取材を続けている。

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