ジェッツの選手がコート外も全力な理由 コロナと戦う「プロジェクト」の裏側

大島和人

選手目線でコロナ禍の取り組みを振り返ると、千葉ジェッツの特徴がより浮き彫りとなった 【(C)B.LEAGUE】

 Bリーグ千葉ジェッツふなばしのある試みが、競技を超えた広報担当者から支持を集め、スポーツPRカンファレンスのアワードでグランプリを受賞した。その名を「コロナに笑利project」という。

 元をたどると2020年3月にスタートしたムーブメントだ。「コロナに笑利」を合言葉にしたSNSを介したファンとのつながり、無観客試合を通じた社会への発信はいい広がりを見せていた。

 一方で3月末にはBリーグ2019-20シーズンの打ち切りが決まり、4月7日には千葉も含む7都府県へ緊急事態宣言が発令された。コロナ禍でチームとファン、地域の隔たりが一気に広がろうとしていた。そこで選手たちはどう動きに関わり、エンターテインメントの灯りを守ったのか。連載第3回は主に選手目線で、プロジェクトの進展を振り返る。

選手が率先して「できること」を模索

ベテランの大宮(8番)は、2019-20シーズンのシーズン打ち切りを受け、まずチームやリーグの経営を心配したという 【(C)B.LEAGUE】

 新型コロナウイルス感染症の猛威は、立ちどころに世界を覆い尽くした。NBAは3月に入ると感染者が続出し、3月11日から7月30日の「バブル」開幕まで長い中断に入った。Bリーグは3月10日に無観客での再開を決定したものの、1節のみで再び休止される。そして3月27日、2019-20シーズンの打ち切りが発表された。

 千葉ジェッツふなばしの選手たちは、練習場で話し合いを持った。キャプテンだった西村文男は振り返る。

「選手が集まって『何かできないか』という話はしました。『紅白戦をオンラインで配信して、ファンに届けよう』といった案が出ました」

 ベテランの大宮宏正にとっては、2011年の東日本大震災によるシーズン打ち切り以来、二度目の経験だった。

「チームやリーグが大丈夫かな? と単純に思いました。僕たちはお客さんに入ってもらって、それで給料をもらっています。このまま継続していくためには、普通の心構えではいけないなと考えていました」

 大宮は選手同士の討議内容をこう明かす。

「試合をするとか、運動会をするとか、小学生一般テストをやってみんなの点数を出そうという話がありました。シーズンは終わったけれど、まだ体育館を貸し切れる状態でした。1時間から1時間半はみんなでわいわい話していましたね。集まれたのは2回くらいで、それ以降は体育館も使えなくなりました」

 当然ながら感染症の抑制、安全確保が大前提で、複数のメンバーが集まればリスクがある。「ステイホーム」が世界の合言葉となる中で、選手が主導したファン感謝デーの配信は断念せざるを得なかった。チームは解散し、選手も自宅にとどまらざるを得ない状況になっていく。

 そんな中でも千葉は「できること」を模索していた。クラブは4月末にアルコール消毒液を船橋市へ寄贈し、医療従事者を励ますポスターを千枚以上も配布した。5月1日にはそんな一連の動きが「コロナに笑利project」と冠されることになった。

 事業推進部の芳賀宏輔は説明する。

「試合がなくなって、ブースターが選手と会えない状況になってしまいました。コロナ禍であってもジェッツのコミュニティとして、気持ちを繋ぐことのできるプロジェクトを実施しようと考えて立ち上がったのが、コロナに笑利projectです。ブースターの方からも『この言葉(コロナに笑利)はいいね』みたいな反応は受けていました。他チームが使ってくれたり、広がりも既に感じていました。社会貢献活動、コロナに立ち向かうプロジェクトはこれでいこうと満場一致で決まりました」

選手自らが動画の演出や撮影方法を考えた

千葉ジェッツの公式Youtubeチャンネルを除くと、試合以外の多岐に渡る動画が目に付く 【スポーツナビ】

“ジェッツらしさ”の出た企画が、選手やチアリーダーのメンバーによる動画作りだ。手洗い動画、24秒チャレンジ、変身動画など様々な内容が撮影され、公式Youtubeチャンネルなどを通じて展開された。選手とスタッフがともにアイデアを出し、ファンへの発信を続けた。

 広報の三浦一世は当時の状況をこう述べる。

「野球、サッカーなど他のスポーツでも『おうち時間を楽しく過ごしましょう』みたいなチャレンジが結構ありましたよね。『よし、ウチもやってみよう』という動きが、パクリとかでなくいい意味で広がっていたと思います。コロナに笑利を他のチームが使ってくれた時期でもありましたし、逆に『これをジェッツでもやれたら面白い』みたいな真似もあって、いろいろトライしていました」

 普段ならばこのような動画は広報、マネージャーが撮影を受け持っている。しかし21年春は「ステイホーム」が急務だった時期。クラブから大まかなディレクションはあったが、具体的な演出や撮影方法を考えるのは選手自身だった。

西村は振り返る。

「僕は元々一人でインスタライブやYouTubeをやっているので、大変さは感じません。でも一人暮らしの選手は自撮り棒とかがないし、あとどこを背景にするかを考えるのも大変なのかなと感じました」

 広報の三浦はこう口にする。

「この頃はリモートなので、自分で撮ってもらうしかありませんでした。選手全員が動画をしっかり撮って送ってくれるってかなり大変ですからね、まあなかなかないことです。真面目なのかな、気まぐれなのかはわかりませんが……(笑)。とにかく、選手たちからもこの状況下で何か自分たちにできることをしようという協力的な態度がありました。#コロナに笑利のタグで使えそうないろいろなネタも、選手がかなり出してくれて、とても感謝しています」

国内外の選手から届く高クオリティ動画の数々……

寝起き姿からユニフォームに化ける変身動画では、西村らしいセンスとユーモアが光った 【スポーツナビ】

 米国の自宅に戻っていた外国出身選手も、撮影へ全面的に協力していた。三浦は振り返る。

「24秒ボール回しチャレンジという企画をやりました。家の中でボールやクッションを、選手と同じように頭とか腰とか足の周りを回す動画を上げてくれたら、抽選でプレゼントもありますという内容です。ギャビン(・エドワーズ)もジョシュ(・ダンカン)もコー(・フリッピン)も、今は北海道ですけれどニック(・メイヨ)も、米国の家で撮ってくれました」

 寝起き姿からユニフォームに化ける変身動画では、西村選手らしいセンスとユーモアを反映した楽しい作品が誕生した。西村は述べる。

「元々演出みたいなことを考えるのは好きなので、こういう動画をやってみようよ、やってみたらどうか? という話は個人的に好きでクラブとしています」
 大宮は変身動画の作成過程をこう説明する。

「私服からユニフォームに着替える動画って、千葉ジェッツが最初に発信したチームではないんですよね。真似をしたチームはハードルが上がると思って、どこかにひねりを一つ入れたかった。僕は酔っ払いの感じでやったんですけれど、3日間くらいかかりましたね。シチュエーションを考えて撮影して、見てやり直して、合計3日くらいかけましたね。(西村)文男のは面白かったですよね。彼は発想が他の人と違って、参考にさせてもらいました」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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