ジェッツが日本中のPR担当に支持された!? コロナと戦う「プロジェクト」の裏側
コロナと戦った「プロジェクト」は、広報担当・三浦(右)のちょっとした「思いつき」からはじまった 【(c)CHIBA JETS FUNABASHI/PHOTO:AtsushiSasaki】
2020年3月は、人類史における忌むべき1カ月だった。新型コロナウイルスの感染問題が全世界的に拡大し、社会活動が一気に止まった。Bリーグもまず2月26日にレギュラーシーズンを中断。3月中旬に無観客で再開したものの、3月27日に2019-20シーズンの打ち切りを決めている。
社会は混乱し、大きな不安が広がっていた。しかしクラブスタッフと選手は世の中を少しでも明るくしよう、喜びを届けようと動いた。情熱にユーモア、遊び心をまぶし、なおかつ素晴らしいスピード感で企画を回した。
もちろん新型コロナ問題は今も進行中で、まだ人類がこの災厄に打ち勝ったといえる段階にはない。しかしコロナに笑利projectは、日本のスポーツ界が難敵と戦った過程として、振り返る価値を持つ。
※1 「スポーツPRカンファレンス」はJリーグ、Bリーグとスポーツナビの3社が協力し、さまざまなスポーツ団体のPR担当者が競技を超えた情報共有や学び、交流を行うイベント。
コロナ禍でチームの合言葉となった「笑利」
発端は2019-20シーズンの中断が発表されて5日が経過した、2020年3月2日の昼だった。千葉ジェッツふなばしの広報・三浦一世は出勤中にふと、あるフレーズを思いつく。そして「#コロナに笑利」というタグを付けて、地下鉄の車内からクラブのTwitterアカウントに画像をアップした。「笑」の一文字に、ある思いが込められていた。
三浦は言う。
「毎日がコロナ、コロナだと、暗い気持ちになりがちじゃないですか。コロナに勝つぞという意味で“笑利”を使いました。笑顔になって免疫力を高めましょうみたいな狙いです。笑顔の写真を片っ端から探して、タグを付けてアップしました。同じハッシュタグを使って、自分が笑顔になれそうな写真を投稿する人が増えればいいなという気持ちもありましたね。そういう写真を探して、投稿を考えているときって、一瞬でもコロナのことを忘れて必ず楽しいことを考えていると思うんです」
他クラブもそうだったはずだが、会社内は混乱していた。三浦は当時の状況をこう説明する。
「リモートワークのインフラ整備などもあり、会社は結構バタバタしていました。無観客になる、シーズンが途中で終わるかもしれない……みたいな空気感もありました。無観客試合が(3月10日に)決まる前から『早くシーズンが終わって、来シーズンまで大きく空いたら、シーズンをもしやれなかったら』みたいなことも考えていました」
三浦が考えた「笑利」は、チームの合言葉になった。彼は2016年9月、Bリーグの開幕と同時に千葉へ入社したが、それ以前は広告関連の会社に勤務し、コピーライターの経験も持っている。ジェッツブースターの合言葉とも言うべき「いくぜてっぺん」も彼の発案だ。
クラブの土壌から生まれた“ファストブレイク”
公式Twitterの担当者でもある三浦。「瞬間」を逃すまいとスマートフォンをよく手にしている 【(c)CHIBA JETS FUNABASHI/PHOTO:AtsushiSasaki】
「ジェッツのアカウントは基本的にノリが軽い。コロナに関しては話題がそもそも重いですが、そこで暗くなっても仕方ないので、タグに“笑い”が入っています。フレンドリーに、ツッコミどころを作っていくと輪が広がりやすいなと感じています。公式リリースで『日頃より千葉ジェッツふなばしへのご支援・ご声援誠にありがとうございます。このたび弊クラブでは…』と毎回出すばかりでは面白くないですよね」
そしてBリーグ史上初となる無観客試合の開催が、3月10日に発表された。会場はホームの船橋アリーナで、相手は千葉と東地区の首位を争っていた宇都宮ブレックス。本来ならば満員の観客が集まっていたはずの大一番だ。そこに向けた二つの企画が文字通り“ファストブレイク”で動き始める。
それが「コロナニショウリ」のコレオグラフィと、来場できないファン、ブースターのメッセージを選手に届ける「言の葉の翼」だった。
三浦は振り返る。
「14日の試合まで時間がありません。その中でコレオグラフィをやって、言の葉の翼という企画も走らせた。ジェッツには短期決戦の結束力があります」