連載:コロナで変わる野球界の未来

JFE東日本・峯本が社会人で開花したワケ 「環境」が人の成否を左右する

中島大輔
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「嫉妬するくらいの技術の持ち主」

プロで活躍が期待される能力を持つとされる峯本。しかし、ここまで順風満帆な野球人生を送っているわけではなかった 【中島大輔】

「波乱万丈な人生です」――。

 自身の24年間を振り返り、峯本匠は豪快に笑った。大阪桐蔭高校時代から注目されてきたこの左打者は、立教大学を経てJFE東日本に入社2年目の今年、ドラフト候補に挙がるところまでたどり着いた。

「能力としてはプロで1、2億円もらっていい選手だと思います。同じ左バッターとして、嫉妬するくらいの技術の持ち主です」

 昨年の都市対抗野球でJFE東日本を初優勝に導いた落合成紀監督は、そう評す。峯本が野球人生を軌道修正できたのは、この理解者がいたからと言えるだろう。

「自分で言うのもあれですけど、高校時代にあれだけ良い成績を残して、ある程度注目されて大学に行きました。そのときに燃え尽きた感じがあったというか」

 大阪桐蔭で森友哉(埼玉西武)の1歳下にあたる峯本は、1年秋からセカンドで起用され、2年春にはセンバツに出場。3年夏には香月一也(巨人)、正随優弥(広島)らと全国制覇を果たした。直後にはU-18日本代表としてアジア選手権で準優勝している。

「高校でしんどい練習をしたからこそ、甲子園優勝という達成感を得られました。U-18にも選んでもらって、(他国の)同級生のプロ野球選手たちからいい刺激をもらって野球をできた。『これ以上、何があるんかな?』と思っちゃったんです」

 大阪桐蔭には毎年冬、プロに進んだ先輩たちが自主トレで帰ってくる。中村剛也(埼玉西武)や中田翔(北海道日本ハム)、藤浪晋太郎(阪神)らの姿を見て、球界トップレベルを実感できた。

 だが、立教大学では1年春から出場機会を与えられたものの、同様の刺激は受けなかった。「いいピッチャーもいたけど、自分と歳が離れているからそう思うだけや」。

 実際4年生になると、同学年の投手をすごいとは感じなかった。

監督との関係がうまくいかなかった大学時代

 大学で燃え尽きた理由の一つは、溝口智成監督との関係がうまくいかなかったこともある。

「僕は自分の感覚を信じてやっているので、監督から一言、二言違うことを言われると、『もういいや』となってしまって。監督と意思が合わず、外される時期が多かったです」

 試合で打てずに合宿所に帰ってきた後、悔しい結果に終わったチームメートがバットを振る一方、峯本はその輪に加わらなかった。「なんで練習してないの?」。溝口監督に聞かれても、「別にせんでも」としか感じなかった。
 打てない悔しさから練習しても、次の試合で結果が出るわけではない。努力の仕方は千差万別で、峯本には異なる考え方があった。それでもバットを振り、悔しさをバネにする姿勢を見せれば、少なくとも監督には評価されたかもしれない。
 
 指揮官に期待を寄せられなくなった峯本は、Aチームから外され、Bチームで練習する日々を送る。1年秋、2年春ともに出場ゼロ。いわゆる“干された”状態だった。

「もう大学ではいいやとなって、見返してやろうとという反骨心があまりなかったです。外されても、『他の人、頑張れ』みたいな」

 客観的に見ても、峯本は自分がレギュラー陣より劣るとは思わなかった。

高校時代におきた「タックル事件」

大きな物議を醸した高校時代の「タックル事件」 【写真は共同】

 対して周囲からすれば、峯本には理解しにくい点もある。とりわけその印象を強くするのが、大阪桐蔭時代の「タックル事件」だ。
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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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