連載:コロナで変わる野球界の未来

部員不足の野球部から考える「部活動」 たった一人の3年生がやり切った意義

中島大輔
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埼玉県にある松伏高校野球部は、今年3月まで選手が倉田晴稀(右から2人目)の一人しかいなかった。左は矢嶋正悟監督 【中島大輔】

 千葉県の野田市に隣接し、越谷市や春日部市と同じ埼玉県東南部に位置する松伏町は、人口わずか3万人の町だ。プロゴルファー・石川遼の生まれ故郷として知られている。

 町内にある唯一の高校、埼玉県立松伏高校の野球部には、今年3月まで選手が一人しかいなかった。

「辞めようと思っています。友だちと遊んでいるほうが楽しいので」

 高校最後の学年を迎える前、倉田晴稀は監督の矢嶋正悟にそう伝えている。野球部のことではない。学校自体に行く意味を見いだせなくなっていた。

野球部を続ける理由が見つけられない

「なんで自分は野球部に入ったんだろう?」。倉田は野球を続ける理由が見つけられなくなっていた 【中島大輔】

 松伏高校野球部は慢性的に部員不足に悩まされ、前年6月、2年生だった倉田は“助っ人”として借り出された。同学年で友人の野球部員に頼まれ、夏の県大会に出場。少しだけソフトボールの経験はあったが、野球は素人だ。それでも野球部の先輩や友人、サッカー部やバドミントン部などから参加した仲間たちとプレーするうちに楽しくなり、「みんなともっとやりたい」と野球部に入ることにした。

 ところが翌年2月、倉田を誘った友人は退学した。赤髪になっていた。倉田は「辞めるかも」と聞かされていたが、本当に辞めるとは思っていなかった。

「なんで自分は野球部に入ったんだろう?」

 仲の良かった友人だけでなく、同学年の女子マネジャーも姿を見せなくなり、倉田は広いグラウンドに一人残された。監督の矢嶋と、顧問の才川力也と3人で練習を続けたが、以前のように楽しい場所ではない。せっかくできた仲間との時間が失われ、一人で野球を続ける理由を見つけられなくなると、おのずと足は遠のいた。

「倉田にとって野球部という居場所がなくなると、終わりだなと思いました。どこかに受け皿が必要だな、と」

 進学校である埼玉県立不動岡高校から埼玉大学を卒業し、数学教師として6年前に赴任した矢嶋にとって、自身がすごした学生時代と松伏の環境はあまりにも対照的だった。学力的に“できない部類”の子たちが多く、どこか自信がなさそうに感じられる。

 とりわけ倉田はそうした一人だった。このまま消えるように野球部を辞めたら、何も残らない。部活を最後までやり切ったという結果が失われ、自己肯定感を持てないまま卒業する。その先に、果たして明るい未来が待っているだろうか。
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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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