ラグビーW杯、日本招致活動の舞台裏 伝統国有利の世界に飛び込んだ日本の苦悩
日本開催の言い出しっぺは誰だったのか?
森喜朗氏(中央)らとともにラグビーW杯の日本招致に尽力された徳増氏(左端)に、招致活動の舞台裏をうかがった 【写真提供:徳増浩司】
ラグビーW杯はわが国にとって、まさに空前のスポーツイベントである。では誰が、この大会の招致を最初に言い出したのだろうか? 大会の招致委員会委員長と組織委員会の副委員長を歴任した、森喜朗氏であろうか? 元ラガーマンで総理経験もある森氏が、大会招致に大きな役割を果たしたことは間違いないが、言い出しっぺはこの人ではない。では、誰なのか? ラグビーW杯組織委員会の事務総長特別補佐の徳増浩司さんが、興味深い話を教えてくれた。
「奥克彦さんという、早稲田のラグビー部出身の外交官がいらっしゃいました。JRFU(日本ラグビーフットボール協会)の国際委員もやられていたのですが、この方がラグビーW杯日本開催の可能性を早くから提案し、個人的にも英国滞在中にラグビーの人脈を広げる活動をし、森さんにも会ってW杯のことを語っていたとお聞きしました」
奥氏は03年11月28日、イラク復興支援の活動中に銃撃を受け(イラク日本人外交官射殺事件)、45歳の若さで亡くなっている。奇しくも同年の1月9日、「ラグビーW杯、11年以降に招致も 日本協会、五輪参加も推進姿勢」という朝日新聞の見出しがラグビーファンの目を引いた。内容は「将来的にアジア各国をリーグに巻き込み、アジア初のW杯として意義をアピールし、招致につなげたい」とする真下昇JRFU専務理事(当時)の談話。これがメディアに最初に載った、ラグビーW杯日本招致に関する記事である。
もっとも真下専務理事の談話は、この年から始まるジャパンラグビートップリーグに関連したフォーラムの中で出てきたもので、この時点ではまだJRFUで具体的に決定した話ではまったくなかった。しかしインパクトは絶大で、この記事を契機に日本の招致活動がスタートしたのは間違いない。ただしそれ以前から、日本でのラグビーW杯開催を夢見た外交官がいたことについては留意すべきだろう。
W杯開催を決する「伝統国」と「同盟国」
伝統国の影響力が大きいため、数々のロビー活動を行ったという(写真は英国の国会議員団と打ち合わせを行っている様子) 【写真提供:徳増浩司】
「最初にぶつかった大きな壁は、世界の伝統国のネットワークに日本がまったく入っていないということでした。世界に友だちもいなければ同盟国もまったくない中で、『日本でW杯をやらせてください!』と突然手を挙げたのが03年の状況。まだようやく第5回のW杯が開催されたばかりでの日本招致は、今振り返れば無謀ともいえる挑戦だったかもしれません」
「伝統国」とか「同盟国」とは、ずいぶん大げさな物言いのようにも感じられる。とはいえW杯招致に関して言えば、こうした概念が極めて大きな意味を持つ。IRBの場合、8つの設立協会(スコットランド、アイルランド、ウェールズ、イングランド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、フランス)が2票ずつ。そして4つの理事協会(日本、カナダ、イタリア、アルゼンチン)と6つの大陸連盟が、それぞれ1票ずつを持っている。ここにFIFA(国際サッカー連盟)との大きな違いが感じられる。
FIFAにおいても、英国4協会は大きな存在ではあるものの、W杯の開催国を決める票の数は1つずつ。人口14億の中国でも、5万人しかいないフェロー諸島でも、各協会は等しく1票ずつが確保されている。これに対してIRBは伝統国が極めて大きな力を持っており、さらにはヨーロッパと南半球の3カ国が、それぞれ強い同盟関係を結んでいる。1987年にオーストラリアとニュージーランド共催で第1回W杯が開催されて以降、ずっと南半球とヨーロッパで交互に大会が開催されてきたのも、こうしたパワーバランスがあったためだ。
「W杯の開催国を決めるIRBの全投票数は26票。このうち『ファウンデーションユニオン』と呼ばれる8カ国が2票ずつなので16票。つまり26票のうち16票を伝統国が握っているわけですね。われわれが飛び込んでいったのは、そういう世界。しかも日本は、この中でアジア協会以外は誰も仲間がいないという状況でした」