ラグビーW杯、日本招致活動の舞台裏
伝統国有利の世界に飛び込んだ日本の苦悩

日本開催の言い出しっぺは誰だったのか?

森喜朗氏(中央)らとともにラグビーW杯の日本招致に尽力された徳増氏(左端)に、招致活動の舞台裏をうかがった
森喜朗氏(中央)らとともにラグビーW杯の日本招致に尽力された徳増氏(左端)に、招致活動の舞台裏をうかがった【写真提供:徳増浩司】

 日本でのラグビーワールドカップ(W杯)開幕まで、あと3日。ようやくメディアの関心も、来年の東京2020ではなく、直前に迫った4年に一度のラグビーの祭典に向けられるようになった。何しろサッカーのW杯や夏季五輪に並ぶ、世界3大スポーツイベントのひとつである。開催都市は12で、出場チームは20カ国。2002年のサッカーW杯は日韓共催だったので、半分に割ったらラグビーW杯のほうが規模感は大きい。加えて大会期間は44日間。来年の東京五輪とパラリンピックを合わせた期間よりも長い。


 ラグビーW杯はわが国にとって、まさに空前のスポーツイベントである。では誰が、この大会の招致を最初に言い出したのだろうか? 大会の招致委員会委員長と組織委員会の副委員長を歴任した、森喜朗氏であろうか? 元ラガーマンで総理経験もある森氏が、大会招致に大きな役割を果たしたことは間違いないが、言い出しっぺはこの人ではない。では、誰なのか? ラグビーW杯組織委員会の事務総長特別補佐の徳増浩司さんが、興味深い話を教えてくれた。


「奥克彦さんという、早稲田のラグビー部出身の外交官がいらっしゃいました。JRFU(日本ラグビーフットボール協会)の国際委員もやられていたのですが、この方がラグビーW杯日本開催の可能性を早くから提案し、個人的にも英国滞在中にラグビーの人脈を広げる活動をし、森さんにも会ってW杯のことを語っていたとお聞きしました」


 奥氏は03年11月28日、イラク復興支援の活動中に銃撃を受け(イラク日本人外交官射殺事件)、45歳の若さで亡くなっている。奇しくも同年の1月9日、「ラグビーW杯、11年以降に招致も 日本協会、五輪参加も推進姿勢」という朝日新聞の見出しがラグビーファンの目を引いた。内容は「将来的にアジア各国をリーグに巻き込み、アジア初のW杯として意義をアピールし、招致につなげたい」とする真下昇JRFU専務理事(当時)の談話。これがメディアに最初に載った、ラグビーW杯日本招致に関する記事である。


 もっとも真下専務理事の談話は、この年から始まるジャパンラグビートップリーグに関連したフォーラムの中で出てきたもので、この時点ではまだJRFUで具体的に決定した話ではまったくなかった。しかしインパクトは絶大で、この記事を契機に日本の招致活動がスタートしたのは間違いない。ただしそれ以前から、日本でのラグビーW杯開催を夢見た外交官がいたことについては留意すべきだろう。

W杯開催を決する「伝統国」と「同盟国」

伝統国の影響力が大きいため、数々のロビー活動を行ったという(写真は英国の国会議員団と打ち合わせを行っている様子)
伝統国の影響力が大きいため、数々のロビー活動を行ったという(写真は英国の国会議員団と打ち合わせを行っている様子)【写真提供:徳増浩司】

 ラグビーW杯日本招致の事務局長として活動することになった徳増さんは、03年当時JRFUの国際部に所属していた。といってもJRFU事務局自体が15人ほどの小ぢんまりとした組織であり、国際部も徳増さんのほかに部下が1人だけだったという。朝日新聞の記事を受けて、翌日すぐにIRB(国際ラグビーボード=現ワールドラグビー)に電話で確認をとったところ、回答は「決してできないことはないと思う」。その言質を拠り所にして、日本招致活動が少しずつ動き始める。ただし徳増さんは、当時のことを「今思い返せば、まるで氷漬けのドアを開けるような状態だった」と振り返る。


「最初にぶつかった大きな壁は、世界の伝統国のネットワークに日本がまったく入っていないということでした。世界に友だちもいなければ同盟国もまったくない中で、『日本でW杯をやらせてください!』と突然手を挙げたのが03年の状況。まだようやく第5回のW杯が開催されたばかりでの日本招致は、今振り返れば無謀ともいえる挑戦だったかもしれません」


「伝統国」とか「同盟国」とは、ずいぶん大げさな物言いのようにも感じられる。とはいえW杯招致に関して言えば、こうした概念が極めて大きな意味を持つ。IRBの場合、8つの設立協会(スコットランド、アイルランド、ウェールズ、イングランド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、フランス)が2票ずつ。そして4つの理事協会(日本、カナダ、イタリア、アルゼンチン)と6つの大陸連盟が、それぞれ1票ずつを持っている。ここにFIFA(国際サッカー連盟)との大きな違いが感じられる。


 FIFAにおいても、英国4協会は大きな存在ではあるものの、W杯の開催国を決める票の数は1つずつ。人口14億の中国でも、5万人しかいないフェロー諸島でも、各協会は等しく1票ずつが確保されている。これに対してIRBは伝統国が極めて大きな力を持っており、さらにはヨーロッパと南半球の3カ国が、それぞれ強い同盟関係を結んでいる。1987年にオーストラリアとニュージーランド共催で第1回W杯が開催されて以降、ずっと南半球とヨーロッパで交互に大会が開催されてきたのも、こうしたパワーバランスがあったためだ。


「W杯の開催国を決めるIRBの全投票数は26票。このうち『ファウンデーションユニオン』と呼ばれる8カ国が2票ずつなので16票。つまり26票のうち16票を伝統国が握っているわけですね。われわれが飛び込んでいったのは、そういう世界。しかも日本は、この中でアジア協会以外は誰も仲間がいないという状況でした」

宇都宮徹壱
宇都宮徹壱

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著はスポーツナビでの連載をまとめた『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版)

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