連載:エディー・ジョーンズが語るラグビーW杯の記憶

エディー伝説、その始まりは準Vから 初のW杯で地元開催の豪州を導く

竹鼻智
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2003年オーストラリア大会

エディー監督、当時43歳。地元開催の母国を率い、初めてのW杯に挑戦。伝説はここから始まった 【Getty Images】

 現在でも唯一となる北半球の優勝経験国、イングランドが栄光の座に就いた2003年オーストラリア大会。地元・オーストラリアを相手に戦った決勝戦は、大会史上2度目の延長戦にまでもつれ込み、イングランドのジョニー・ウィルキンソン(スタンドオフ)が終了間際に放ったドロップゴールが勝負を決めた。イングランドではウィルキンソンが国民的英雄となり、代表チームを世界の頂点へと率いたクライブ・ウッドワード監督は、大会後、サー(勲爵士)の称号を英国女王より与えられている。

 こうして劇的な結末を迎えたこの大会で、地元開催となったオーストラリア代表を率いていたのが、エディー・ジョーンズ監督。残念な結果に終わりながらも、自身の指導者としてのキャリアで初めて臨んだワールドカップ(W杯)について語ってもらった。

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本番を迎える頃、いいチームになると確信

――この年のオーストラリア代表は、W杯前のテストマッチで、イングランド(14-25)、南アフリカ(22-26)に敗れ、ニュージーランドには2度(21-50、17-21)も敗れています。地元開催のW杯へ、自信を持って臨める状態でしたか?

 間違いなく、自信はありました。W杯前のテストマッチを戦っている段階では、我々はチームとしてまだまだ発展の余地がある状態でした。本番を迎える頃には、大会前の準備期間中よりもはるかに良いチームになるという、確信を持って戦いに挑みました。

 南半球のチームは、W杯イヤーは5月から代表の活動が始まり、そのまま大会まで代表として活動を続けられるという、スケジュール上の利点があります。南半球のライバルチームは我々と同じスケジュールで強化を行っていますが、その中でも、我々はこの時間をうまく使っているという自信を持って、強化を進めていました。

――予選グループでは、アイルランドを相手に17-16と、ヒヤリとさせられる試合もありましたが。
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著者プロフィール

1975年東京都生まれ。明治大学経営学部卒、Nyenrode Business Universiteit(オランダ)経営学修士。2006年より英国ロンドンに在住し、金融機関でのITプロジェクトマネジメントとジャーナリストの、フリーランス二足の草鞋を履き、「Number Sports Graphics」(文藝春秋社)、「ラグビーマガジン」(ベースボールマガジン社)、「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)へのコラム執筆など、英国・欧州の情報を日本へ向けて発信。

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