連載:高校野球の「球数制限」を考える

大野倫は「球数制限」をどう考える? 「選手も大人も守るためにルール化へ」

松尾祐希

骨折しながら沖縄水産を準優勝に導いた大野氏(写真左)。当時を振り返り、高校野球の現状について話をしてくれた 【写真:沖縄タイムス/共同通信イメージズ】

 6試合で773球。うち4試合は連投だった。1991年の夏の甲子園、沖縄水産高の大野倫は故障を抱えながらも、たった一人で投げ抜いた。結果は準優勝。この決勝が大野にとって、生涯最後の登板だ。大会後に右肘の剥離骨折と診断された男は、九州共立大に進学後、高校、大学ともに通算18本塁打の打力を生かして外野手に転向。プロでは巨人と福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンク)でプレーし、引退後は会社勤務などを経て、2010年から指導者の道に進んだ。あれから18年。怪我を抱えて投げる自身の決断に後悔はない。だが、将来ある子供たちに自分と同じような想いを味わって欲しくないと考えている。ボーイズリーグの「うるま東ボーイズ」で指導に当たるほか、子供の野球競技人口減少による野球普及事業にも力を入れる男は、現在の高校野球をどう見ているのか。「球数制限」について独自の見解を述べてもらった。

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今年、高校野球が変わるチャンス

――大野さんが甲子園に出場した当時を振り返って。

 エースは無理をしてでも投げる時代でした。最後までエースがマウンドに立ち続けるのが、義務みたいな感じ。背番号1がマウンドを下りるのは敗戦を意味する。本当に理論とか理屈とかではなく、昔の高校野球は理論よりも精神論が来ていた時代。そんな時代だったので、自分の中で違和感があったわけではないんです。たまたま怪我をしてしまったので、それをおして投げた。責任感やいろいろな人が応援をされていたので、期待に応えたかったし、仲間のためにという想いもあった。だからこそ、自分を身を粉にして頑張れる。それが高校野球。でも、今は選手の将来、能力を重視していて、良い悪いは別に高校野球が変わった瞬間だったと思うんです。

 最初、大船渡高の佐々木朗希君が(岩手県大会の)決勝戦に登板しなかったのは驚きました。これは高校野球が変わるチャンスで、変わった瞬間でもあった。大船渡高の國保陽平監督は10年後、高校野球に風穴を開けた先駆者として称賛されているはず。それは間違いない。変わる時はいろいろな犠牲があって、誰かが敵に回ったり、誰かが非難されたりとか、さまざまなものが渦巻く。この瞬間こそ、高校野球が変わる時期だと思います。

――新潟で春季大会での球数制限の導入が議論されました。大野さんは、どのように捉えていますか?

 一番良いのは甲子園の日程を広く取るやり方です。球数制限と言っても、結局ピッチャーはブルペンやピッチング練習で球数を投げる。負担は減るけど、根本的な解決にはつながらない。なので、完全休養日を間、間にもっと多く作れば、選手の体を守れる。それが難しいので、球数制限の導入が提言されているのではないでしょうか。

 余裕のある日程にするか、球数制限にするのか。本来は甲子園の日程を、1日5試合にできればベスト。空いた日を中盤にかけて、余力を持って休養日にあてていく。ナイターだから教育上ダメだという意見があるかもしれないけど、体調面を考えれば、そうは言っていられない。塾通いで、夜中の23時ぐらいに外にいる子もいるので、そこはすぐにでもできる。ただ、現実は厳しい。球数制限もあって、休養日も取れれば一番良いですけど、早急な対策を取らなければいけないのであれば、現実的なのは球数制限ですかね。

スーパーピッチャーに頼れないルールが必要

――強豪校は良いピッチャーを複数名用意できますが、公立校などは難しくなります。過密日程が緩和されれば、球数制限をしなくてもいいですよね。

 特待生のピッチャーが増えるかもしれませんが、そもそもこれが不公平なんですよね。特待生制度がありますし、良い選手は囲われる。部員が150名ほどいて、試合に出られるのは10人前後。特待生制度も含めて、私学は資金面、環境面も含めて優位に立っています。だから、今さら不公平の問題にフォーカスしても同じな気がします。それよりも部員が9人しかいないのであれば、全員をピッチャーとして育成する。その中で3、4人が戦力として育ってくれれば良い。要は育てる気の問題なんです。

 頭数の問題で私学に良いピッチャーを持っていかれていて、すでに不公平。では、どうやって投手を育成するのか。僕もボーイズリーグのチームを持っていますが、このカテゴリーではピッチャーは1日7イニングまでと決まっています。さらに2日だと、合計10イニングまでしか投げられません。つまり、スーパーピッチャーに頼りたくても頼れないルールがあるので、複数人の投手を育てようという指導者の意識があるんです。だから、なんの問題もない。

 ルールだからしょうがないと割り切れる。勝ち上がるのは2番手、3番手の選手を育てたチーム。これは部員が少ないとか、多いとかの問題ではない。9人いれば、投手を回せるわけですから。能力をどうこう言っても仕方がないですし、速い球が投げられない選手はコントロール、変化球を磨けば良いのではないでしょうか。

――自分の力を考えて、ピッチャーとして生き抜く抜く術を探せばいいんですよね。

 そうなんです。150キロを投げるから良いピッチャーとは限らないんです。指導者は不公平と知りつつも、いかにピッチャーを育てていくか。今でも優勝しているチームは結構一人で投げているピッチャーが多い。少し前の優勝ピッチャーだと、早稲田実の斎藤佑樹君(北海道日本ハム)、興南高の島袋洋奨君(ソフトバンク)。去年(準優勝)の金足農高の吉田輝星君は一人で投げて、決勝でやられました。無理して投げているピッチャーが勝っているのもある。それはルールとして設けないと、結局スーパーピッチャーに頼ってしまうんですよね。島袋君も大学に行って、何が原因が分からないですけど、苦労をしました。ただ、高校時代の負担が全く関係ないわけではないと思われます。高校時代の酷使が大学につけで回ってきた。斎藤君もそうだと思います。

――田中将大投手は、渡米後に肘の故障でPRP療法を受けました。

 いち早くルールを導入すべきですね。そうすれば、大船渡高の佐々木朗希君も決勝のマウンドに上がれたかもしれません。球数制限は100球じゃなくても、80球でもいい。そうであれば、4回戦で194球を投げなくても済んだ。ベンチに下がって、野手で出たりして、肘・肩を温存して次の試合に備えられる。準決勝も80球、100球の制限があれば、余力を持って決勝に登板ができる。結局、監督、指導者に委ねる基準がないので、今回は決勝で登板回避になってしまった。ルールで選手も大人も守る。だから、ルールは必要。そうしたら、批判的なコメントも出なかったのかなと。

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著者プロフィール

1987年、福岡県生まれ。幼稚園から中学までサッカー部に所属。その後、高校サッカーの名門東福岡高校へ進学するも、高校時代は書道部に在籍する。大学時代はADとしてラジオ局のアルバイトに勤しむ。卒業後はサッカー専門誌『エルゴラッソ』のジェフ千葉担当や『サッカーダイジェスト』の編集部に籍を置き、2019年6月からフリーランスに。現在は育成年代や世代別代表を中心に取材を続けている。

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