連載:高校野球の「球数制限」を考える

大野倫は「球数制限」をどう考える? 「選手も大人も守るためにルール化へ」

松尾祐希

ルールで選手を守ってほしい

地元・沖縄で子供たちへ野球の普及活動をしている大野氏 【松尾祐希】

――ルールで守れるところはありますよね。ご自身については、ピッチャーができなくなった事実に対して後悔はありますか?

 後悔は全くないですね。やはり、自分が小さい頃から夢を見てきた甲子園のマウンドなので。あとは背番号1の責任感。それがあって、試合中は自分の肩や肘を守ることまでは、考えられないですよね。一瞬一瞬の勝負に必死なので、秋のドラフトを考えながら投げるピッチャーはいない。一緒に仲間たちと3年間の集大成として戦いたい。だからこそ、甲子園まで勝ち上がれた。ワンマンピッチャーであれば、予選で負けていたはずです。なので、選手たちの想いをコントロールしないといけない。放っておけば、選手は投げるに決まっている。「大丈夫か?」と聞けば、「大丈夫」と言うし、「行けるか?」と聞けば、「行けます」と言います。

――高校で燃え尽きたいという想いを持った子も中にはいると言われます。

 僕もプロを目指していましたけど、甲子園を目指す時は考えられなくなりましたね。母校のためにという想いが強いので。あとは夢にまで見た甲子園に出たかったんですよね。

――実際に投げていて、「体が重たいから投げられないな」というのはなかったんですか?

 きつくても投げられます。それが甲子園というところなので。

――仲間の想いがそうさせるんですね。

 そうなんです。でも、ルールがあれば、そういう感情からも守られる。最後まで投げさせようとはならないんです。だから、ルールを作ったほうがいい。そこに尽きますね。

大野倫(おおの・りん)

1973年4月3日生まれ。沖縄県出身。沖縄水産高では2年次に外野手として、夏の甲子園で準優勝。翌年は背番号1を背負い、エースとしてチームをけん引した。右肘の骨折を抱えながら投げ続け、2年連続で決勝の舞台に立つも、沖縄県勢初の優勝は成し遂げられなかった。卒業後は九州共立大に進学。右肘の負傷によって外野手に転向すると、打撃センスが開眼。95年のドラフトで巨人から5位指名を受け、プロ入りを果たした。ダイエーを経て2002年に引退。出身地のうるま市でボーイズリーグ「うるま東ボーイズ」を指導し、地元・沖縄で後進の育成に励んでいる。

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著者プロフィール

1987年、福岡県生まれ。幼稚園から中学までサッカー部に所属。その後、高校サッカーの名門東福岡高校へ進学するも、高校時代は書道部に在籍する。大学時代はADとしてラジオ局のアルバイトに勤しむ。卒業後はサッカー専門誌『エルゴラッソ』のジェフ千葉担当や『サッカーダイジェスト』の編集部に籍を置き、2019年6月からフリーランスに。現在は育成年代や世代別代表を中心に取材を続けている。

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