角居さん、キセキが待ってるよ 「競馬巴投げ!第181回」1万円馬券勝負
問題はこの能勢恵だ
[写真1]ウインテンダネス 【写真:乗峯栄一】
ぼくが少しかかわった競馬女性MCっていうのか、イベンターというのか、そういうのは二人しかいない。この大恵陽子と、15年ぐらい前にかかわった能勢恵(のせ・めぐみ)の二人だけだ。
2003年ごろだろうか。まだ梅田アプローズ・タワーに「プラザ・エクウス」というイベント会場があった頃の話だ。
「松田国英調教師トークショー」というのがあり、人生たった一回の司会をやったことがある。
不肖乗峯、何につけ、集まりにおいては「当初後ずさり・後半酔いに任せて逆襲」という後方一気を身上にしている。酒も飲まずに最初から登壇するのは初めての体験だ。
開演前「立ち見も出てます、ほら」と係りの人がカーテンを開ける。あのね、何でそんなことするの?と、逃げたくなった。
背中を押されて登壇する。
「本日は栗東の風雲児と言われている、誰が言っているかというとぼくが言っている訳で」
軽いジャブのつもりが誰一人笑わない。ヤバい。慌てて気を取り直し「では松田国調教師の登場……」と振り向いたとき手に持った大量の資料がマイクコードに触れ、さらに空調の風に乗って会場に散乱。松田国調教師の登壇は司会者が客席で落ち穂拾いしている時に行われた。
それでも師の情熱あふれる話で盛り上がりいいイベントになった。打ち上げ会でも「乗峯さんと一緒に仕事できて嬉しかったです」と松田国調教師が言う。感動、絶句である。
そこへ南太平洋(競馬講談師・現“旭堂南鷹”)・能勢恵というエクウスの常連の司会コンビが乱入してくる。
「いやあ国先生は普段通り話されて素晴らしかったです。それにひきかえ」と二人でこっちを見る。悔しい。
「これから、お前らの司会イヘントは残らず参加して、一言一句チェックしてやるからな」と恨んだ。
南太平洋とも数え切れないほどの因縁があるが、問題はこの能勢恵だ。
“喋るサイレンススズカ”
[写真2]ガンコ 【写真:乗峯栄一】
「おい、どうしたんや」と声を掛けると、「JRA広報から連絡があって、8Rまでには絶対来てくれ。9Rスリリングサンデー鞍上のペリエの通訳が必要だから、って言われてるの」と息せき切って言う(能勢恵は英語が堪能で、MC以外に通訳もやっていた)。
大ラッキー! こんな確かな情報はほかにないじゃないか。JRA広報が保証しているんだ。確かにスリリリングサンデーは圧倒的一番人気だが、勝つのが分かってれば、こんな楽なレースはないと、ポケット総ざらえして、スリリングサンデーの単勝を買った。
そしたら、負けたんだ、スリリングサンデーが。何のために息せき切って走ってたんだ、能勢恵は、と地団駄踏んだ。
太平洋の同級生なんかとも、よく一緒に淀から帰った。途中「“餃子の王将”に行きたーい」と能勢恵が言うので、車を止める。店に入って勢いよく「餃子5人前」と頼むと、能勢が「私、餃子嫌いなのお」と喚く。じゃあ、何で「“餃子の王将”行きたーい」とか言うんだ、とみんなで睨んだが、素知らぬ顔で、彼女は他のメニューを見ている。
仲間の一人が大勝ちした帰り、「今日はおごる。寄ってくるやつは他にいないか」と強気の言葉を吐いていた時「セーンセイ、久しぶりー」とハンドバッグ振り回しながら近寄る女がいた。エキセントリック・インタビュアー能勢恵だった。
瞬間目を伏せたが、もう遅い。「行く行く、私最近もうダシマキー」と既に意味不明の言葉を叫んでいる。
能勢恵は仕事こそまともだが、酒席になると必ず単騎逃げに入る。
“喋るサイレンススズカ”だった。
十三の居酒屋でジョッキを開けた途端「私ね、実はアフリカンなの。なぜかって言うと頭で太鼓が鳴ってるの。ドンドコドンドコドンドコ」とテーブルを叩く。全員瞬間沈黙する。
「昔、私のこと滅茶苦茶書いてましたね」と急にぼくの方を睨む。
「はあ」
「でも、どうして最近私のこと書かないの?」
訳分からんでしょ。でも、「東京に出て、MCとして更に飛躍する」と宣言して以来、もう10年になる。
まだMC活動やっているのか、結婚して家庭に入ったのか、それとも関西にまた帰っているのか、全然消息不明だ。昔の携帯番号に掛けても、全然つながらない。
また、あの吹っ飛んだ感性に会いたいなあ。