履正社屈辱をロードでどーぞ 「競馬巴投げ!第174回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

高校野球選手権第100回、我々は何もしなくていいのか?

[写真1]ウインガニオン 【写真:乗峯栄一】

 高校野球選手権は第100回だという。これは何か行動しないといけないと思いつく。普通なら甲子園球場に行って、記念始球式でも見るところだろうが、あの暑い所に満員電車で押されながら行く気にはちょっとなれない。

 でも、大丈夫、わが住居のある大阪豊中市には、第1回中等学校野球選手権を開催した場所がある。決してほかの土地にはない。

 同じ豊中市民の浅尾くんという友達(もう50歳になるのかなあ。もちろん基本は競馬友達だが)に「今年は高校野球選手権第100回だぞ」と電話する。

「はあ……」

「我々は何もしなくていいのか?」

「へ?」

 どうも、浅尾くんは感動に薄いところがある。

「今年、第100回を迎える高校野球選手権、第1回は我々の街・豊中で行われたらしいんだぞ」

「ああ……、そう……、らしいですねえ」

「じっとしていていいのか!」

「は?」

 どうも不得要領の浅尾くんに対して、いきなり「動け」と命令するのも気が引けたので
「第1回中等学校野球選手権のモニュメントを見に行くぞ」とは言わず、「キミんちに近い、森友学園跡地、服部天神、それから、ちょっと離れるけど、第1回高校野球モニュメントと“豊中三大名所巡リ”っていうのを二人でやってみないか?」と提案する。

「それって、有名なんですか? 豊中三大名所とかって?」

「ここ、一年で全国に名を轟かせた。特に森友学園跡はいつ潰されるかもしれないから、あと数ヶ月が勝負だ。その代わり、三ヶ所とも無事巡れたら、阪急豊中駅前の“まつ本”で割り子そば奢るから。うまいんだ、ここの割り子そば。恐らく豊中一、いや多分関西一だ」

「はあ」

豊中の名所といえば、この三つ以外に思いつかない

 まあ、そんなことで、先日、暑い中、浅尾くんと“豊中三大名所巡り”を敢行した。

 ほんと、豊中の名所といえば、この三つ以外に思いつかない。

 園田競馬場は猪名川のわずか西なので兵庫県に属するし、大阪空港は滑走路の手前の方100メートルほどしか豊中市に属さないし、履正社高校はうちの近くなんだけど、もう一つ大阪桐蔭の壁を破れない。

[番外写真1]森友学園 【写真:乗峯栄一】

(1)森友学園はなかなかシャレた建物だったが、さてどうなるのか。でも現在は豊中市が日本に誇れる最大の名所かもしれない。[番外写真1]

[番外写真2]服部天神 【写真:乗峯栄一】

(2)服部天神には色々考えさせられた。[番外写真2]

 鎮守の森のない街中の小さな神社だが、近所に住む浅尾くんによれば、十日えびすは正月以上に賑わうらしい。

 ぼくの調べたところ、天神社と天満宮はだいたい同じ意味で菅原道真を祭神としている。京都の北野天満宮と九州太宰府天満宮を二大天満宮として、道真が九州へ左遷させられる途中に立ち寄った所として、大阪天満宮や、この服部天満宮もある。

 しかしこの服部天満宮は主祭神は少名彦那命 (すくなひこなのみこと) となっている。少名彦那は大国主に国譲りを勧めたという、ふるーい神様だ。そこに道真が通りかかったというので「天神」を名告りだしたということらしい。さらに分からんのは、十日えびすというのは西宮恵比寿を本社とする恵比寿神社の祭りだ。恵比寿神社と天満宮はどういう関係にあるんだろう?

[番外写真3]第1回中等学校野球選手権のモニュメント 【写真:乗峯栄一】

(3)今年で第100回を迎える高校野球選手権 (夏の甲子園)は 現在の阪急豊中駅の西400メートルのところにあった。[番外写真3]

「豊中球場」と呼ばれ(やっぱり、宝塚少女歌劇を創った阪急電車創始者・小林一三が創ったらしい)で、第1回(1915年・大正4年)、第2回が行われた。ちょうど、第1回、第2回ダービーが目黒競馬場で行われたのと似ている。

 その後、豊中球場が廃止になり、第3回から第9回までは西宮の鳴尾運動公園で行われたと記録されているが、これは鳴尾競馬場の内馬場のことである。競馬場の内馬場で高校野球選手権が行われた。競馬が高校野球を保護していたのである。金曜日に高校野球見に行った人は、その競馬の恩に報いるため、すべからく“その金ナイター(園田金曜ナイター)”に行くべきだ。(論理が飛躍してる?)

 大正13年に西宮に大球場が出来て、たまたまこの年が甲子 (きのえ・ね) の年だったために甲子園球場と名付けられ、第10回大会から中等学校野球選手権は甲子園球場で行われることになった。

 1915年が第1回だから、今年はほんとは第104回目でないとおかしいんだけど、米騒動で1回、太平洋戦争で3回中止になっている。

 そのあと、この日は「1万歩」以上歩いたので(最近、健康のため万歩計を買って、1日1万歩を高い目標にしている)、その祝いも兼ねて、そば屋「まつ本」に浅尾くんを案内し、お代わり自由の「割り子そば」を無理矢理食べてもらった。ぼくは何かにつけてソバだ。[番外写真4]

[番外写真4]浅尾くんと割り子そば 【写真:乗峯栄一】

 浅尾くんは8皿、ぼくは7皿食べたが、浅尾くんは大丈夫だったらしいが、ぼくは帰りのバスの中で吐きそうになった。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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