宝石職人ジュエラーの大駆け 「競馬巴投げ!第119回」1万円馬券勝負
高野山ふもとの天野の里という小さな村
[写真1]チューリップ賞を勝ったシンハライト、桜花賞でも有力候補の1頭だ 【写真:乗峯栄一】
紀ノ川沿いの国道を南に折れて、高野山の脇侍(きょうじ)のようにひかえる雨引山の尾根をくねくねと30分ほど上り下りすると、急に田畑が開ける。その小さな盆地が天野の里だ。ほんとに小さな集落だが歴史は古い。
高野山は開山当初から女人禁制とされてきた。愛する夫や恋人が不意にこの世と隔絶し高野入山を果たしたとき「自分も共に出家を」と願い、とりすがる女たちが、しかし高野入山は許されず、途方にくれ、失意のうちに髪を下ろして自給自足の半生を送った場所だと言われている。
紫電改の名パイロット
[写真2]ジュエラー(左)の強烈な脚、根性に期待! 【写真:乗峯栄一】
この新型戦闘機・紫電改の名パイロットに佐藤康清という天野出身の海軍中尉がいて、四国松山上空でのグラマンとの空中戦の末に戦死したと言われている。この佐藤中尉はあの西行法師の末裔でもあるという噂があり、調べに行ったのが天野の里を訪ねた動機だった。
佐藤中尉の実家は天野の里のさらに奥、星山という急峻な斜面にへばりつくように建っていた。吉野杉の下枝切りなどの林業と、痩せた土地にソバを栽培し、ニワトリを飼う半林半農の生活である。中尉の妻も既に亡くなっていたが、息子さんが色々と話してくれた。