初体験の春、松山弘平初JRA・GI 「競馬巴投げ!第118回」1万円馬券勝負
美術展に関して、過去に暗い思い出がある
[写真1]超安定勢力のアースソニック 【写真:乗峯栄一】
へえ、行ってみたいなあ。春めいてきたし、桜の下をきれいな女性連れてモネ展に行く。かわいらしいオシャレな女性で、美術に興味があって、徹夜で前調べなどしていくと「へえ、美術にも造詣が深いんですねえ」などと尊敬の目で見てくれて「いや、そんな大したことないよ」などと言うという、そんな人がいれば、ぜひ一緒に行ってみたいのだが、そういう好条件がそろうような場面にはめったに出会わない。
むしろ、ぼくには美術展に関して、過去に暗い思い出がある。
そのシャセイはもちろんあのシャセイではない
[写真2]サトノルパンは一発を秘める脚が魅力 【写真:乗峯栄一】
ただ彼女は東京の真ん中の何とかという有名な女子校の出身で、田舎から出てきたばかりの者としては、そこに一番の不安を抱えていた。
一度、大学の近くの小石川公園を二人で歩く機会があったのだが、「高校の美術部でよくここに来て、みんなでシャセイしたの」と言われたことがあって、そのシャセイはもちろんあのシャセイではないのだが、頭の中はすぐにあのシャセイのイメージでいっぱいになって、女子美術部員が一列に並んで一斉にシュセイするという図しか浮かんでこず、まともに彼女の顔を見られなくなった覚えがある。
でも、Take me one more chance!
その美術展は池袋のサンシャインビルでやっていた。
「やっぱりコラージュ・キュービズムというのは破格のところがあるわよね」
「……ああ」
「初期のキュービズム、ブラックやピカソの作品をじかに見ると、当時のヨーロッパの人たちの驚きがよくわかるの。でも、キュービズムからフォービズム、フォービズムからアブストラクト・アートへの流れっていうことを考えると、やっぱり、ほら、コラージュ・キュービズムの役割っていうのはやっぱり凄いのよ。さっきのコンポジション見ると、ほら、無造作に四角が二つ書いてあるだけみたいだけど、でもよく見ると、この位置でこの黒と赤でないとダメってわかるじゃない」
「はあ……」
「はあって……、そう思うでしょ?」
「そうかなあ」
「そうかなあって……、じゃあ、ほかにあると思うの? あの位置で赤と黒の四角以外に何かある?」彼女は首を斜めにしたまま、ぐっとこちらに近寄ってくる。
「いやあ……」
「何かある?」
「いや、そう言われると……」言葉に詰まって、腕組みをして下を向く。「あっ、いま気がついた」と顔を上げる。「うん、ない。確かに、ない。……へえー。不思議なもんだね。さっき見てたときは、こんなもの何でもいいじゃないかって思ってたけど、へえー、よく考えてみると、ないね。確かに。……やっぱりあの位置であの色じゃないとダメなんだ」疲れてきた。
「でしょ」彼女は安心したように背中をソファーに戻す。「わたしも実はね、そう思ったの。あんなもの何でもいいんじゃないかってね。でも、ほら、よく考えると、ダメでしょ。あの斜め六〇度のあの配置で、あの赤と黒でないとダメなのよ。絶対そうなのよ。そこが凄いわよね」
「……」
あの「蠢めく膣」が蘇ってきたのだ
[写真3]4年連続で高松宮記念出走のハクサンムーン、今度こそ 【写真:乗峯栄一】
「例えば、カンディンスキーの作品を見ると、ロシア未来派との関係抜きには語れないし、それはデュシャンに対するフォービズムの影響ということでも同じだと思うの……」
「?」
彼女の美術史講義の間に、半分残っていたマイルドセブンが空になる。コーヒーは二杯飲み干して腹がだぶついてくる。このタバコとコーヒーと意味のないあいづちの一時間になぜ耐えられたかというと、理由がある。自然界の法則には、すべてそれに足る原因がある。ライプニッツもそう言った。池袋からぼくの下宿のある大塚が近いということが原因である。ライプニッツもそれが原因だと言った。池袋から大塚が近いという事実が、マイルドセブンをむやみに吸わせ、コーヒーを二杯飲ませ、“はあ”とか“ああ”とかいう民謡の合いの手のような返答を強いたのである。
美術ホールのあるデパートを出て、首都高速の下をくぐり、サンシャインビルの横を通る。
「だからあの頃のキュービズムのアーティストたちっていうのは、そういう形態を打破するっていうこと、それはのちのタダイズムっていうのとは異質だとわたしは思うんだけど……、ところで、どこ行くの?」
「うん?」
「どこか目的地あるの?」
「いや、別にないんだけど……。あっ、そう言えば、ぼくの下宿ここから近いんじゃないかなあ」
「へえ。だから、とにかく、何て言うのかなあ、あの頃のアーティストたちっていうのは、そういう何ていうの、新しいアートへの胎動っていうの、そういうのがうごめいてたのよね、心の中に」
“うごめいていた” ……? ぼくの頭が突然また真っ赤になった。“蠢めく膣”が蘇ってきた。小学校六年生のとき、父親が投げ捨てていた、どぎつい彩りの雑誌を押し入れの奥で見つけて、その表紙に赤い大きな字で“蠢めく膣”って書いてあって、これは“ムシめくムロ”だとてっきり思って、部屋に持ち帰って、辞書を引いてみたが“ムシめく”なんていう言葉は載っていない、“ムロ”は載っていたが、“食物を保存する所”とかって書いてあって、“いや、違う。そんなんじゃないはずだ”とそこのところだけは鋭敏な勘が働いて、姉の机からそっと漢和辞典を持ってきて、初めて読み方が分かったあの「蠢めく膣」、あの「蠢めく膣」が蘇ってきたのだ。