宝石職人ジュエラーの大駆け 「競馬巴投げ!第119回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

渾身の歌を吟じる。「どうだ」「え?」

[写真6]ラベンダーヴァレイは堅実脚が持ち味だ 【写真:乗峯栄一】

 わたしの毎週の投稿が競馬場総務課でちょっとした話題になっていたとは全然気づかなかった。あるとき「1990年春爛漫の日は“競(くら)べ馬”と“桜”の名手・西行八〇〇年忌」と詞(ことば)書きして

 春風の花の吹雪にうずもれて 行きもやられぬ仁川坂道

 と書いて投稿した。西行が河内弘川寺の満開の桜の下で死んだのは建久元年(1190年)だから、その年、1990年の桜満開の日はちょうど西行八〇〇年忌にあたり、それを書き添えた。これが総務課に特に評判よかった。川西駐屯地に「桜花賞宣伝コピーとして使わせて貰いたい」という申し出が入り「つきましては、あと一つ決めの一首を頂きたい」ということで、電話口で「うーん」と唸る。

 願わくは仁川桜の春死なん その春爛漫 桜花賞のころ

 と、渾身の歌を吟じる。「どうだ」という感じだったが、競馬場職員は「え?」と言ったきり、しばらく絶句する。「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」という西行辞世の歌はさすがに知られていたようだ。そこから芋づる式にわたしの投稿全歌が西行のパクリであることが知られてしまう。まことに桜花のごとき、はかなき一瞬の開花だった。阪神競馬場スタンド全面改修の一年前、“花の女神”アグネスフローラが“高級カバン”ケリーバッグを破ったときの話だ。

春深み 枝も揺るがで散る花は 風のとがにはあらぬなるべし

[写真7]チューリップ賞で崩れたレッドアヴァンセ、能力的に即巻き返しがあっていい 【写真:乗峯栄一】

 西行は23歳のとき、その可愛いさに心を奪われてはならんと、まな娘を縁から蹴落として出家したらしいが、わたしも25のとき上官の娘が憎たらしいので足を出し、はずみでその娘が椅子から落ち、それが原因で退官した。

 出家はしなかったが、その後は山に戻り、吉野山に山桜の苗木を植える生活をしている。もう20数年になる。戦死した父親も、西行命だった母親もすでに死んだ。競馬場とは遠く離れたが、桜が咲き始め、春の香りが吉野に漂い始めると、桜花賞色の競馬新聞を後ろポケットにねじ込み、昼休みには遠く花に煙る全山を眺めながら予想したりしている。

 春深み 枝も揺るがで散る花は 風のとがにはあらぬなるべし (西行法師)

 (一部フィクションを含んでおります)

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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