宝石職人ジュエラーの大駆け 「競馬巴投げ!第119回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

あんたは西行法師の生まれ変わりや

[写真3]ソルヴェイグはフィリーズレビューを勝ったのになぜか人気が低い 【写真:乗峯栄一】

 中尉の妻は元々京都の街なかの生まれで、近くには“和歌の家元”冷泉(れいぜい)家の屋敷があったとかで、もちろん高い学校教育を受けた訳でもないし、自分で歌を作る訳でもないが、何となく和歌の世界に憧れていて、西行法師妻子の末裔と言われるこの家に嫁に来たらしい。

 結婚してすぐのころ、山道を下って村の中心の郵便局に行くとき「西行妻子の墓」を目撃する。

 歌聖と言われる西行法師は、時代の寵児の“北面の武士”(院の警護役)だったが、何を思ったか、23歳のとき妻子を捨てて出家し、高野山で仏道修行しながら和歌作成の後半生を送ったと言われている。都に残された妻子も仕方なく出家するが、西行在俗時代の主家筋からのいじめもあり、西行の住む高野を目指して天野の里までたどりつき、ここで力つきて死んだと言われる。

“言われる”だけだ。確かに西行妻子の墓は苔むした五輪塔で、50年100年の石ではないと思えるが、しかし西行とか、西行妻子などというのは800年も前の人間だ。そんな、誰が西行の妻子を見たと言うのか? でもうちの母親にとって、この“妻子の墓目撃”は大きな人生の節目となる。京都の街なかで育った人間が紀伊山中で埋もれる、その失意の日々にその日突然暁光がさした。

 母親は読んでいた「西行伝記」という表題の本を父親の方にぐいと近づけ「大変なことや、あんた! 西行の父親も佐藤ヤスキヨって言うらしいで!」と言う。「な、何や、それがどうした?」とビクつく中尉を前に「やっぱりそうだ、うちは西行の子孫なのよ、きっとそう、そして」と母親は今度はぐいと首を曲げてまだ5歳のわたしを睨み「あんたは西行法師の生まれ変わりや、間違いない、あんたも明日からノリキヨや」と訳の分からないことを言う。わたしは憲夫という名前だったが、ほんとにその翌日、天野の村役場まで連れていかれ、西行の在俗時代の名前「佐藤憲清」に変えられてしまった。

え? うちっていつから武家になった?

[写真4]阪神JFでいい脚を見せたブランボヌール、桜花賞でも一発あるか 【写真:乗峯栄一】

 それだけではない。うちの家には杉の搬出のために一頭の作業馬がいた。ただひたすらボオーッとした馬で「名前? そうだなあ、毛深いからゲジにでもするか」と父親が言うので、みんなでゲジと呼んでいた(毛深くない馬なんていないと思うが)。

 しかしわたしが憲清に改名された次の日、このゲジにも悲劇が起きた。“ヒデサト”に改名された。人が乗るための鞍やらアブミやら、どこから集めてきたのか、母親が使い古しのような物を持ってきてバカでかい作業馬に着け、そこにわたしを乗せ、さらに小さなオモチャの弓矢を持たせて「そこから討ってみなさい、いいからヒデサトの背中から討ちなさい、何ですか、ノリキヨ、あなたそれでも武家の子ですか」と母親がヒステリックに叫ぶ。え? うちっていつから武家になった?

 西行の佐藤家というのはムカデ退治伝説で有名な俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)の子孫で、西行も武士時代は“秀郷流矢馳馬(やばせめ・今でいうヤブサメ)”の名手だったという話を読み、それをやらせようとしたみたいだ。わたしも泣いて嫌がったが、ヒデサトなどと大仰な名前を付けられたゲジも、今までただ杉の丸太運んでいたのが、鞍やらアブミやらつけられ、たまには弓矢もケツに当たるし、可哀想なことだった。

あくがるる心はさても仁川桜 散りなんのちや身に帰るべき

[写真5]追い込み展開の中、よく粘っていたデンコウアンジュ 【写真:乗峯栄一】

「天野の里中学」を卒業して、まあそんなに勉強も出来なかったが、何とか地元の高校ぐらいには行けるかと思っていたとき、母親から突然「あんたは高校には行かない、自衛隊に行く」と言われる。「西行は16歳で北面の武士になった。鳥羽院の警護、今でいえば皇居の警護になる。ノリキヨ、お前は自衛隊に行く。行って皇居警護の花形になる。ただ自衛隊に行っても和歌の勉強を忘れてはだめ。いい? あんたは自衛隊に行くけど、それは23歳まで。23になったら、あんたは軍服脱いで墨染めの衣に着替え、筆の入った矢立に聞書帳持って放浪の旅に出る、あんたはそれ以後和歌に生きる」

 訳が分からない。高校行かずに自衛隊入りを勧める親はたまにいるかもしれない。でも自衛隊に入るが、お前はそこを23歳で辞めて放浪の旅に出るなどと路線を敷く親がどこかにいるか?

 しかし母親のただ一つの生き甲斐のため、わたしは渋々自衛隊に入り、そこで隊員学校に通った。任官されて初めて赴任したのは川西駐屯地だった。尼崎の猪名川と、宝塚の武庫川の間の河岸丘陵にある基地で、見張り小屋に立つと摂津平野全体が見渡せた。

 中でも一番目を引いたのは武庫川沿いの満開の桜に覆われた阪神競馬場だった。なんのかんのと言いながら、小さい頃から“西行洗脳”されてきた人間だからだろう、「馬」と「桜」という、それだけで感覚的に反応してしまうものがある。春の非番の土日には必ず仁川に出掛けた。出掛けて必ず歌を詠み、自分で気に入った何首かを競馬場の「お客さま意見箱」に投函して帰った。やっぱりこんな自衛官はそんなにいないだろう。
 
 あくがるる心はさても仁川桜 散りなんのちや身に帰るべき
 
 武庫川の春のこずえの鶯は 花の言葉を聞くここちする
 
 何となく春になりぬと聞く日より 心にかかる仁川のこずえ

 なかなかいいでしょう? 「川西駐屯地自衛官・佐藤憲清」と署名も入れて。嘘のような名前だけど嘘じゃない。でもダメだ。作品は全部西行の盗作だ。和歌には“本歌取り”という都合のいいテクニックがあって「盗作? この教養ないやつが。本歌取りだ、本歌取り。バカたれ」と逆に見下せることになっているが、これらの作はあまりにひどい。ただ誉めてもらえる点があるとすれば、桜を見れば西行の“桜秀歌”の30首ぐらいはすぐに右から左に口ついて言えるということだろうか。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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