息子・角田裕毅はなぜレッドブルに選ばれなかったのか 父・伸彰氏に独占インタビュー

柴田久仁夫

まるで大人のおもちゃ箱のような伸彰氏の「趣味の部屋」 【写真:柴田久仁夫】

「いくら速く走っても、選ばれることはないのかなと」

 レッドブルは王者マックス・フェルスタッペンのチームメイトに、リアム・ローソンを選択した。経験、実績ではるかに優る角田裕毅を押しのけての抜擢だった。

 昨年暮れ、そのニュースが公になった直後、筆者は角田の父、伸彰氏に連絡を取った。息子がトップチームに昇格できなかったことに、さぞ落胆しているのではないか。しかし伸彰氏の口調は、意外にサバサバしたものだった。

「ローソンだろうなと思ってましたからね」

 そう思っていた根拠は、何かあったのだろうか。

「特に根拠はありません。今までの裕毅への(レッドブルの)対応とか、メディアの記事とかからの印象ですかね。いくら速く走っても、選ばれることはないのかなと」

 非力なマシンでトップ10に食い込む走りを見せる角田に対し、ハースやアルピーヌなど複数のチームから接触があったことは間違いない。ところが伸彰氏によればレッドブルは、「他チームへの移籍は認めない」意向だったようだ。

「マルコさん(注:レッドブル系ドライバーの人事権を握るヘルムート・マルコ博士)に、他チームに行きたいという話を伝えたんですよ。そしたら『他に出さない』という返事が来た。結局のところ、「安い給料でポイントを稼いでくれるいいドライバー」という扱いですよね。だから他に出すわけがないと。そういう経緯もあって、裕毅をレッドブルに昇格させるつもりは全くないんだというのははっきりわかりました」

 一部メディアでは、「角田に真の実力があれば、他チームに移籍していたはず」という論調もあった。しかし実際には、角田は早い時点から移籍という選択肢を奪われていたことになる。

4歳から息子のレースを見守ってきた父

「裕毅はすでに前を向いて進んでいますよ」と語る伸彰氏 【写真:柴田久仁夫】

 淡々と語る伸彰氏だが、角田が4歳から始めたカートでは全レースに帯同し、その後もずっと成長を見守ってきた父親にしてみれば、かなり悔しい扱いなはずだ。

「外にも出さない、かといって上にあげてもくれない。そこは親としても、見ていてかわいそうでしたね。(最終戦の)アブダビあたり、しょげてる感じはしました」

 とはいえレーシングブルズ残留が決まってからの角田は、「もう前向きでしたね」と、伸彰氏はいう。

「暮れに地元で開いたファンイベントでも、『レーシングブルズの車で、レッドブルをやっつけます』と宣言して拍手喝采を受けたりね。むしろ僕がレッドブルを非難するようなことを言ったら、裕毅は逆に擁護してたんじゃないかな。父親がそんなことを言うのは良くないと、嗜める意味も込めてなんでしょうけど」

 そして伸彰氏は息子が昇格できなかった今回の事態を、こう総括した。

「僕からしたら、選ばれなかったということよりも、その土俵上にまではとりあえず上がっていた。そこは評価したいです。少なくともF1で失敗はしていない。見方を変えれば、箸にも棒にもかからなければ、とっくに辞めさせられていた。それがずっと来てるわけですから」

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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