チームメイトは敵か味方か F1は今、チームメイトバトルが熱い!

柴田久仁夫

マシンを降りれば冗談を飛ばし合うルクレールとサインツ 【(c) ScuderiaFerrari】

上位勢のチームメイトバトルが熱い!

 F1ドライバーの評価は難しい。ドライバーの能力そのものより、マシンの性能差が成績に直結することが多いからだ。たとえマックス・フェルスタッペンでも、ザウバーやウィリアムズでは優勝どころか表彰台もおぼつかない。「究極のハンデキャップスポーツ」と言われるゆえんである。

 一方で同じチームに所属する二人のドライバーなら、同じマシンを駆るだけに優劣がはっきりわかる。チーム首脳にもジャーナリストにとっても、「チームメイトより速いか遅いか」は、重要な指標となる。当然ドライバーたちも、たとえ表向きは仲良くしていても、本心は「あいつにだけは負けたくない」と思っているものだ。

 そんなチームメイト同士の関係は、優勝を争うトップチームではいっそう熾烈になる。今シーズンでいえば、レッドブル、マクラレン、フェラーリ、メルセデスがトップ4チームを形成しているが、その中でチームメイトバトルと無縁なのはレッドブルのマックス・フェルスタッペンのみ。そもそもフェルスタッペン絶対エースのチームだが、今季はセルジオ・ペレスの不振が特に深刻で、まだ1勝もできていない。獲得ポイント差も、200近くある。

 対照的にマクラーレンのランド・ノリス(3勝)とオスカー・ピアストリ(2勝)、フェラーリのシャルル・ルクレール(2勝)とカルロス・サインツ(1勝)、そしてメルセデスのルイス・ハミルトン(2勝)とジョージ・ラッセル(1勝)は、お互いの獲得ポイント数も接近し、時に激しいチームメイトバトルを繰り広げてきた。

チームメイトとして決して一線は超えない

今年のスペインGPでガチバトルを繰り広げたサインツ(手前)とルクレール 【(c) ScuderiaFerrari】

 たとえば第10戦スペインGPでの、ルクレールとサインツ。3列目グリッドに並んだ二人は、スタート直後から互いに一歩も譲らない。ついに4周目の1コーナーで、サインツがアウト側から被せ、マシンが接触しながらも強引に抜いて行った。

ルクレール「カルロスが(外から)被せてきた」

サインツ「右リアからぶつかってきて、僕を押し出した!完全に、僕が前だったのに」

 その後も二人は5位争いを繰り広げ、最後はルクレールが抜き返して5、6位でチェッカーを受けた。

 あるいは第13戦ハンガリーGPのマクラーレン。ピアストリ、ノリスの順で1-2を形成していたが、チームがピアストリのピットインを遅らせたため、順位が逆転してしまう。そこでノリスに「順位を譲れ」の指示が出たが、一度手にした首位の座を簡単に譲るつもりはない。15周以上にわたって説得を重ねるチームに対し、時に沈黙で答えるノリス。ようやく首位を明け渡したのは、チェッカー3周前だった。

 まさにエゴとエゴのぶつかり合いだが、それでも決して一線は超えない。チームやチームメイトの助けなしには好結果が出せないことを、今のF1ドライバーたちは十分承知しているからだ。

 しかしかつては、ありえないレベルのチームメイトバトルもあった。マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナが1989年日本GPのアラン・プロストとの同士討ちでタイトルを失い、翌年同じ鈴鹿でプロストに突っ込んで行った事件だ。

 この年にはプロストはフェラーリに移籍し、すでにチームメイトではなかったが、セナは2年越しで遺恨を晴らした。セナやプロストに限らず、当時のF1はドライバーという個の存在が今よりずっと大きかった。それが時にドライバーの暴走を許すこともあった。そんな背景で起きた異常な事件だった。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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