4戦全敗! F1のスタートで、ノリスはなぜ失敗し続けるのか?

柴田久仁夫

スタート直後の攻防でピアストリ(写真手前)に屈したことが、ノリスの最大の敗因だった 【©️McLaren】

 今年のイタリアGPは、フェラーリのシャルル・ルクレールが制した。2019年以来となる跳ね馬の劇的勝利に、フェラーリの熱狂的ファン「チフォジ」たちは酔いしれた。

 対照的に最大の敗者は、1、2位独占をほぼ手中にしながら逆転負けを喫したマクラーレン、中でもポールポジションからスタートしながら3位に終わったランド・ノリスだった。ノリスのポール獲得は今季4回目。そのいずれのレースでも、スタートで順位を落としている。そんなF1ドライバーは、僕の知る限り過去にはいなかった。なぜノリスだけが、これほどまでに失敗し続けるのだろう。

背後のライバルたちを意識しすぎた?

5年ぶりの母国勝利にモンツァは真っ赤に染まった 【©️Ferrari】

 まずは、これら4レースのスタートを振り返ってみよう。今季初めてポールポジションを獲得したスペインGPでは、マックス・フェルスタッペンにイン側から、アウト側からはジョージ・ラッセルに抜かれて3番手に後退。二度目のポールスタートだったハンガリーGPも同様に二つ順位を落とし、共に2位に終わった。

 3回目のオランダGPでは、加速が伸びずにフェルスタッペンにかわされた。しかしマクラーレンのレースペースはレッドブルをはるかに凌ぎ、コース上で抜き返すと22秒以上の大差をつけて優勝。スタートの失敗を挽回した。

 オランダから連戦となった今回のイタリアGPでも、ノリスはポールを獲得。決勝レースのスタートでも1コーナーまでは何とか首位を維持したものの、そこからの立ち上がりでオスカー・ピアストリに背後につけられ、第2シケインの攻防で敗れ、直後にはルクレールにも抜かれて3番手に後退した。

 いずれの4戦もスタートシグナルが消えた際の、反応速度自体は悪くない。しかしスペインではフェルスタッペンを意識するあまり、極端に斜めに進むラインでタイムロス。今回のイタリアGPも、ピアストリの先行を防ごうと発進直後にイン側へ寄せ、結果的にピアストリに背後につけられたことが、その後のバトルの伏線となった。

ノリスはバトルに弱い?

 とはいえあの攻防の場面、これがもしフェルスタッペンだったら、たとえ相手がチームメイトだったとしても、アウト側からの強引な被せにも決して怯まず、スロットルを緩めることはなかっただろう。

 ノリス自身はレース後、「オスカーはぎりぎりまでブレーキを遅らせて、突っ込んできた。僕は何も起きないよう、最善を尽くすだけだった。僕もブレーキを遅らせて、彼を押し退けるべきだっただろうか。わからない」と、語っている。

 こんなときでも率直に心情を吐露するところが、いかにもノリスらしい。しかし繰り返すが、これがフェルスタッペンだったら決して譲らなかっただろう。たとえ2台クラッシュの最悪の事態になったとしても。

 ライバルたちもフェルスタッペンのそんな闘い方がわかっているから、決して無理に仕掛けたりはしない。一方のノリスはたとえ自分が劣勢でも、ラインを閉めるような走りはしてこなかった。そのため、「ノリスなら少々無理しても行ける」と見なされている部分はあるかもしれない。

 もしあそこでノリスがピアストリに負けず、首位を維持できていたら、オランダに次ぐ連勝を果たしたかもしれない。しかし実際には3位に終わり、初タイトル獲得の夢は少しばかり遠のいてしまった。強引とは無縁のノリスのドライビングが、今回は非常に高くついたことになる。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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