F1を去るダニエル・リカルド。なぜ復活に失敗したのか

柴田久仁夫

最後のレースを18位で終えたリカルドは、しばらくコクピットから降りてこなかった 【©️Redbull】

涙のリカルド

 自身最後のF1レースとなったシンガポールGPを、ダニエル・リカルドは18位完走で終えた。車検場にマシンを止めてからも、コクピットからしばらく降りてこない。その後の囲み取材では、涙を滲ませていた。そんなリカルドを見るのは、後にも先にもこれが初めてだった。

 数日後、所属チームのRBはリカルドの解雇を発表した。来シーズンに復帰する可能性は極めて少なく、おそらくこのままF1引退ということになるだろう。

 かつて世界チャンピオンのセバスチアン・ベッテルを蹴落とし、マックス・フェルスタッペンとも互角以上の戦いを繰り広げた逸材が、なぜその後長期間低迷し、復活できないままF1を去ることになったのか。

レッドブル時代の凄さ

夢だったモナコでの勝利を、リカルドはポール・トゥ・ウィンで飾った 【©️Redbull】

 リカルドほどF1キャリアの前半と後半で、明暗の別れたドライバーも珍しい。

 「明」は、レッドブル時代。この時期のリカルドは、本当に凄いドライバーだった。

 2011年7月、22歳の誕生日を迎えた直後にF1デビューを果たしたリカルドは、2014年にレッドブルに昇格した。チームメイトは前年に4年連続チャンピオンの偉業を達成したばかりのセバスチアン・ベッテル。リカルドからすれば、仰ぎ見るべき存在だ。

 ところがリカルドは、ベッテルが未勝利に終わったこの年にいきなり3勝を挙げ、ドライバーズ選手権でも3位に躍進した(ベッテルは大差で5位に沈んだ)。ベッテルにとってはよほどの衝撃だったのだろう。あれは確かシーズン中盤のイギリスGPだったか、僕たち報道陣が目の前でカメラを構えているのもおかまいなしにリカルドのガレージまでわざわざ出かけ、整備中のマシンをじっと観察し続けた。エースドライバーとしては、異例中の異例の行為だ。腕のせいじゃない。車にどこか違いがあるから差が出るのだと、自分を納得させるかのような振る舞いだった。

 そしてシーズン終了を待たずに、ベッテルはフェラーリへの移籍を決める。リカルドの存在が決定的な影響を与えたことは明らかだった。新たにレッドブルのナンバー1ドライバーとなったリカルドは2年後の2016年、フェルスタッペンを迎える。

 フェルスタッペンは移籍初戦で初優勝を遂げ、超大型ルーキーの評価を確立させた。しかしリカルドも、負けていない。この年、さらに翌2017年もフェルスタッペンを凌ぐポイントを獲得した。歴代のフェルスタッペンのチームメイトで彼以上の結果を出したのは、今に至るまでリカルドだけだ。だが2018年は序盤こそ2勝を挙げたものの、その後は表彰台にも上がれず。フェルスタッペンに大差をつけられる中、2019年からのルノー移籍を決めた。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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