パリ五輪に臨むFW佐藤恵允、磨いた個の打開力と“他者とのつながり”
パリ五輪に臨む18人に選出されたブレーメンの佐藤恵允 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
世界への想いが強まった23年のU-23アジアカップ
2022年5月の初招集以降、コンスタントに五輪世代の代表に名を連ねるなど、大岩剛監督からの信頼が厚い佐藤は昨夏、明治大学在学中に海外挑戦を決め、1シーズンを過ごした。
2023-24シーズンはブレーメンのU-23チームの選手として、ドイツ5部リーグでプレーし、公式戦16試合に出場。トップチームに呼ばれることもあったが、ブンデスデビューを果たすことはできなかった。だが、ずっと待ち望んでいた海外での1年で大きな刺激と学びをつかみ、パリ五輪という檜舞台に臨まんとしている。
世界への想いが強まったのは大岩ジャパンでの経験だった。2022年6月にウズベキスタンで開催されたU-23アジアカップ。2度目の招集となったこの大会で佐藤は初戦、第2戦こそ出番はなかったが、第3戦のタジキスタン戦でスタメン出場をすると、1ゴールをマーク。この活躍で信頼をつかむと、準々決勝の韓国戦では後半頭から投入され、フィジカルコンタクトでも一歩もひかず、かつ得意の馬力あるドリブルで何度も相手ゴールに向かってチームに推進力をもたらした。チームはベスト4で敗退したが、この大会は彼に通って大きなターニングポイントとなった。
「僕自身、初めての国際大会で異様な緊張感というか、独特な雰囲気を感じましたし、試合中に違う言語が飛び交うのも新鮮な感覚がありました。その中で自分の長所だけではなく、足りないものをしっかりと把握することができた。国際試合を経験していけば、それだけ成長できると確信できたきっかけになりました」
U-23アジアカップにおける彼の洞察力はすさまじかった。浮き足立ってしまう時もあったが、ピッチの外から冷静に試合を見つめ、ピッチに出たら自分の強みである個の打開力を発揮しつつ、何が欠けているかを実感しながら自己研鑽(けんさん)を怠らなかった。
「韓国のエースであるイ・ガンイン(当時マジョルカ、現パリ・サンジェルマン)選手と対戦して感じたのは、他の選手とは全く違って、“うまい、速い、強い”とすべてを兼ね揃えていて、正直圧倒されました。『これがヨーロッパの高いレベルでやっている選手の本物の姿』なんだと思いましたね。でも、その一方であの時の韓国はイ・ガンイン選手の圧倒的な個の能力をチームとして生かしきれていない印象を受けました。自分もどちらかというと個で打開するタイプなので、やはり自分の武器をチームの勝利につなげるためには“他者とのつながり”を大事にしないといけないんだなと痛感しました」
大学で「個人戦術プラス味方とのつながり」を意識
明治大時代、栗田大輔監督のもとで大きく成長した佐藤(10) 【写真:安藤隆人】
確かに佐藤は自己分析通り、個人で突破できてしまう選手だ。コロンビア人の父と日本人の母を持つ彼は、「ひたすら筋トレをしましたし、1対1を意識的にやりました。相手を置き去りにするようなプレーをどんどんしたかったので、平坦な道だけではなく坂道でダッシュをひたすらしました」と語ったように、実践学園高校時代に自分の武器となるスピードとパワーを磨き上げることに没頭したことで、その出力と破壊力はすごみを増した。
だからこそ、高校時代までは無名だったが、大学サッカー界の名門・明治大の栗田監督に見初められ、すぐに頭角を表すことができた。
だが、その一方で強引に突破を仕掛けようとするあまり、中途半端な位置で奪われてカウンターを受けたり、いいポジション取りをしていた味方の選手を生かせなかったりするシーンも見られた。それを栗田監督は佐藤に口酸っぱく言い続けていた。
「個人戦術プラス味方とのつながり。“他者とのつながり”という部分をもっと追求していけば、成長できると感じました。明治大には『球際、切り替え、運動量』という三原則があって、その中には個としての部分と、チームや周りを助ける運動量や切り替えの部分がある。明治大で高い意識を持って取り組めば必ず伸びるし、海外に出ても十分に通用すると確信できた」
初めての国際大会で彼は世界のレベルと恩師の言葉の真の意味をはっきりと感じ取ることができた。ここから彼の成長曲線はさらに上がっていく。
明治大ではFWとしてもサイドアタッカーとしても、献身的なディフェンスに加えてミドルエリアでボールを受けてからタメを作れるようになった。アタッキングエリアではどのポジションからでも最大出力を持ってペナルティーエリア内に侵入し、決定的な仕事をこなした。圧倒的な個の力とチーム戦術における自分の力の両方をピッチで示すことができるようになったのだ。