パリ五輪2種目内定の“葛藤するランナー”田中希実 日本選手権の走りと言葉から見えた「深さ」

大島和人

田中希実は1500m、5000mの2種目を制した 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 「走り」はシンプルで、いわばスポーツの原点とも言えるアクションだ。ただ田中希実の言葉に耳を傾けると、シンプルな種目だからこその深さが分かる。

 6月末に新潟で開催された第108回日本陸上競技選手権大会の中でも、特別な存在だった。田中は4日間で3種目、5レースを走り切り、2種目の女王になっている。153cmの小柄なランナーが「大きな」存在感を見せた。

 日本選手権はパリオリンピック(五輪)の予選を兼ねていて、出場権獲得には「参加標準記録突破」「ワールドランキングの出場枠(ターゲットナンバー)入り」という2つの方法がある。参加標準記録を突破した選手が日本選手権を制すると、自動的にパリ五輪の代表に内定する仕組みだ。

五輪出場を決めた1500mを田中はどう受け止めたのか?

 田中はまず5000mで先にパリの内定を得ていた。2023年の世界選手権で8位に入賞し、さらに5月のレースで標準記録を突破していたからだ。今回の日本選手権は1500m、800mにもエントリーをして、最大3種目の五輪出場権獲得に挑戦していた。

 大会2日目の1500m決勝は4:01.44の大会記録で制し、同時に参加標準記録(4:02.50)をクリア。これにより2つ目の出場権をつかんだ。自身が東京五輪で記録した3:59.19の日本記録には及ばなかったが、かなりの好タイムだった。

 もっともレースを終えた田中は、自らの走りに対してかなり複雑な受け止めをしていた。

「今日はペースメーカーの方の前に出るくらいのレースをしたいと思っていたのですが、それほどの余裕を持てなかった。もっと圧倒的な力がないとタイムは出ないのだなと思いました」

 今回の日本選手権は1500m、5000mの2種目でペースメーカーが用意されていた。800m〜10000mのトラック種目はペースの上げ下げ、駆け引きで記録が出にくい内容になる場合が多い。しかしパリ五輪の出場権獲得には日本王者でも「参加標準記録」もしくは「ワールドランキング」が問われる。したがってレースを高速化させる必要があった。

 1500mもペースメーカーとの「共同作業」が必要になるレースだった。田中は1100m付近から先頭に立ち、そのまま差し切ったのだが、その過程には逡巡(しゅんじゅん)があった。

「(ペースメーカーの)ヘレン(・エカラレ)選手は1200mまでが目標でしたが、ちょっとでも落ちたら外に行って私を前に出させてあげようかなという動きと、自分が引っ張り切りたいという気持ちと、私と一緒に記録を出したい気持ちが伝わってくる走りでした。そこに私自身もうまく乗っかれたらよかったんですけど、出るタイミングをつかめない部分がありました。ペースメーカーを抜くくらいの気概がないといけないけれど、でも怖いーー。2人とも相反する気持ちと戦いながらの部分もあって、そこがちょっと噛み合わなかったのかなと思います」

「分裂」と表現する気持ちの葛藤

【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 筆者が知る限り田中ほど自らの思考過程をメディアに丁寧に語るアスリートは他にいない。勝って嬉しい、負けて悔しいでなく、自分との戦いという別の評価軸でレースを振り返る。

 今回の1500mもかなり激しく「自分」と戦ったレースだった。例えば2周目、800mすぎの走りについてはこう振り返っていた。

「(周回の)タイム自体は落ちているんですけど、余裕が持てないところがありました。それで自分も焦ってしまって、ラストはもっと上げないといけないのに大丈夫かな?という思いがありました。1周目がちょっと速めで入った部分をラッキーと思えないといけないのですが、『これで余裕が持てなかったらどうしよう?』みたいな感じになっていました」

 5000mに続く1500mの標準記録突破は明らかに素晴らしい成果だ。ただそこについても喜びと不安が相半ばするコメントを残している。

「今回は2つとも期限内に標準記録を切れて、(パリに)堂々と乗り込めるところが、自分の中でアドバンテージです。でも今日アメリカ選手権の1500m予選を見たのですが、彼女たちは予選だけでなく準決勝もあるのに、本当に攻めていて、私の予選のレースよりもどのレースも速かった。それを考えたとき、自分はまだそこまで達していないという気持ちや不安のほうが大きいです」

 他にも田中の「らしさ」「等身大」を感じたのがこのコメントだ。

「自分の中で目標が高すぎる部分と、でも最低限の目標をまずクリアしないといけないというところもあって、あと自信のなさから目標をちょっと下方修正してしまう自分がいたり、3つくらいの気持ちに分裂してしまっています。今日はいつもほどフラストレーションは溜まらない走りでしたが、まだ会心の走りではなかったなという思いもあります。ただ最低限の今やるべきこと、一歩を踏み出すための部分といった『地固め』ができたかなっていう思いはあります」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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