筑波大はJ1首位・町田をどう倒したのか? 学生コーチ、選手が語る勝因とその組織

大島和人

筑波大はJ1首位・町田をPK戦で退けて天皇杯3回戦進出を決めた 【写真は共同】

 あまり「ジャイアントキリング」に見えない試合だった。6月12日に町田GIONスタジアムで行われた第104回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦は、筑波大学がPK戦(4-2)の末にFC町田ゼルビアを退ける幕切れだった。

 J1首位が大学生に敗れたのだから、番狂わせには違いない。ただ筑波大は勝っても不思議がないサッカーをしていた。逆に町田はチーム事情や悲運があったにせよ、拙い試合をしたわけではなかった。

町田に悲運はあったが……

 今回の天皇杯2回戦は国際Aマッチデーの開催で、町田はU-23も含めて4名(谷晃生、オ・セフン、平河悠、藤尾翔太)の代表選手を欠いていた。また6月5日、9日にルヴァンカップのセレッソ大阪戦を終えていて、中2日の15日には横浜F・マリノスとのリーグ戦が組まれている。

 昌子源、イブラヒム・ドレシェヴィッチ、林幸多郎、柴戸海といった主力もベンチから外し、町田は筑波大と向き合っていた。とはいえ、それはカップ戦として一般的な状況だ。

 町田は試合中に負傷者が続出し、約20分を数的不利で戦った。8分にチャン・ミンギュが負傷退場し、右サイドバック(SB)を本職とする望月ヘンリー海輝がセンターバック(CB)に入る。これが「悪夢」の始まりだった。

 22分には右コーナーキックから安井拓也が見事なゴールを決めたものの、アフターチャージを受けて負傷退場。さらに好調のナ・サンホが終盤にプレー不可能な状況になり、既に5名の交代枠を使い切っていた町田は[5-3-1]の布陣で逃げ切りを図る。最終的には4名が負傷でピッチから去る残酷な試合だった。

 筑波大はひとり多い状況も生かして、91分に同点ゴールを決める。延長後半のペナルティキック(PK)はGK佐藤瑠星(3年・大津高)が止めて均衡を保った。PK戦も佐藤の活躍で、筑波大がモノにした。

 DF陣を見ると諏訪間幸成(3年・横浜F・マリノスユース)、池谷銀姿郎(2年・横浜FCユース)がオーストラリア代表FWミッチェル・デュークに大きな遅れを取ることはなかったし、セカンドボールの回収も安定していた。11人同士の時間帯も「一方的に押し込まれる」「決定機を次々に作られる」という展開ではなかった。つまり運だけで勝い抜けたわけではない。

大学4年生のゲームプラン、起用がハマる

戸田伊吹コーチは学部生ながら試合の指揮を執っている 【(C)JUFA/REIKO IIJIMA】

 筑波大は前半、守備時に右MFの鈴木遼(3年・昌平高)がSBの位置に下がり、[4-4-2]から[5-4-1]に切り替える変形布陣を採用。町田のサイド突破とクロスをよく封じていた。後半は右SBの攻撃時に池谷を右SBから内側のスペースに入れる修正を行い、ビルドアップのテコ入れにも成功した。

 小井土正亮監督は、後半の修正を問う記者の質問にこう返していた。

「皆さんもご覧になって分かると思いますが、試合中とハーフタイムの指示は戸田ヘッドコーチがやってくれています」

 筑波大は今季から大学4年生の戸田伊吹コーチが、練習や試合の実質的な指揮を執っている。彼は町田への対応をこう説明してくれた。

「前線に能力の高い選手がいて、基本的にはロングボールで陣地を挽回したところから、押し込んでそこからコンビネーション、個人での突破を出すのが町田さんの強みです。そこは我々が気をつけないといけないポイントかなと思っていました。僕らは5枚で構えて、後ろを埋めたところから『できるだけいい状態で蹴らせない』ことを意識しました。あとは『どこからボールを蹴られるのか』『どこから蹴られたら、どこにボールが飛んでくるか』をみんなで共有して、うまく封じられるシーンはあったと思っています」

 鈴木を「SB兼サイドハーフ」として起用した意図についてはこう述べる。

「彼は元々SBで出場することが多い選手で、ユーティリティ性のあるプレーヤーです。攻撃のときは[4-4-2]のサイドハーフのタスクを与えて、ユーティリティ性を上手く生かしながら、町田さんの強みにも対策した形です」

 戸田コーチはジュビロ磐田に内定した攻撃的MFの角昂志郎(4年・FC東京U-18)は敢えてベンチに置き、鈴木に替えて54分からピッチに送り込んだ。

「完全に切り札的な役割でした。あとは本当に、町田さんがどういったメンバーで、どういうフォーメーションで、どういうゲームプランで入ってくるかが本当に読めなかった。彼を最初から出すと、1回ギアチェンジしたいとき、手詰まりになってしまうなという考えがありました。あらゆるゲームプランへ対応できるよう、彼をサブスタートにした感じです」

選手、コーチが語る「自信」

内野(左)はU-23日本代表への選出歴を持つFW 【写真は共同】

 大学生がプロに善戦する展開は天皇杯でよく見る。とはいえ一度失点すると、緊張の糸が切れて崩れるチームが多い。筑波大はトリッキーなセットプレーというダメージが残りやすい形で先制点を奪われたあとも、ネガティブな変化がなかった。

 GKの佐藤は振り返る。

「町田は、セットプレーが本当に強いチームという分析で、1本目で何かしてくることは頭にありました。あれは本当に流石としか言いようがないです。でも試合前に『先制されても自分たちは勝つ力があるから問題ない』という話もありました。全員がすぐ切り替えたからこそ、崩れずに1点で抑えられたのかなと思います」

 筑波大に何か奇策があったかといえば違う。戸田コーチは述べる。

「僕が何か特別な戦術を用いたわけでなく、『ここが空いてくるよ。だからこういう戦い方をしよう』という大枠の戦い方を伝えて、最後にジャッジするのは選手でした。自信を持って堂々とやってくれたのが結果に結びついたと思います」

 サッカーに限らず、スポーツはメンタルで結果が左右される。格上の相手に自分を見失う、自滅するチームや個人もよく見る。しかし筑波大の選手たちは、J1首位に対してもどこかに自信を漂わせていた。

 諏訪間はこう振り返る。

「試合前のスカウティングから、本当にチャンスがあるなと感じていました。これは奇跡ではないし、しっかり自分たちが準備してきたことを、ピッチで表現できたからこそ、勝利を得られたのかなと思います。アナリストの人とかが、町田さんの弱点をしっかり分析してくれました」

 内野航太郎(2年・横浜F・マリノスユース)は筑波大のエースで、後半ロスタイムに貴重な同点ゴールを決めている。彼もこう口にしていた。

「相手のCBは前に強いけど、前に強いから(その)後ろのスペースを上手く使えば引き出せるのかなと思って試合に入りました」

 筑波大は個人能力の面でも、町田と五分にやれる人材がいた。U-23代表でプロ選手とともに国際試合を経験している内野にとって、町田の強度は特別なものではなかった。

「こんなこと言っていいのか分からないですけど全く……、(町田の強度は)何というか、厳しいものではなかったと思います」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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