J1王者・神戸で異彩を放ち続ける扇原貴宏「今季はJ1連覇しか考えてない。タイトルが選手の価値になる」

元川悦子

扇原貴宏の今季の目標はJ1連覇だ 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

Jリーグ2連覇に向け、闘志をむき出しにする扇原貴宏

 2023年に悲願のJ1初制覇を果たしたヴィッセル神戸。今季は連覇、そして9月から始まるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)での頂点も目指して、目下、吉田孝行監督中心にチーム底上げを図っている。J1の方は15節終了時点で2位と、首位を走るFC町田ゼルビアを猛追しているが、本当の戦いはここからだ。

 そんな昨季王者を力強く支える1人が扇原貴宏である。今季は開幕から14試合に先発。4-3-3システムのアンカーとして重要な役割を担っている。

「今、目指しているのは優勝しかない。昨年はシーズン中盤から試合に出させてもらって、優勝しましたけど、やっぱりシーズン通して試合に出て優勝したい思いは強いです」

 メラメラと闘志を燃やす32歳のレフティに今季の自分、セレッソ大阪・名古屋グランパス・横浜F・マリノス・神戸を渡り歩いてきた15年間のプロキャリア、自身も参戦経験のある五輪への期待などを幅広く語ってもらった。

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今季の神戸は選手層が厚くなり、チーム力も着実に上がっている!

Zoomでのリモートインタビューに応じる扇原 【スポーツナビ】

――今季の扇原選手は開幕からコンスタントな活躍が目立ちます。自分自身の現状をどう捉えていますか?

 試合に出続けられているのが一番大きいですし、本当に頼りになるチームメートがたくさんいるので、そういう選手たちのおかげである程度のプレーができているのかなと思います。それでも試合の終盤に足がつってしまったり、フィジカル的な課題はまだまだあるので、夏場もしっかり走れるようにコンディションを上げていきたいと考えています。

――今季の神戸は大迫勇也選手や山口蛍選手ら絶対的主軸を控えに回すなど、多彩な戦力や組み合わせで戦っていますね。

 そうですね。今季に向けていい補強ができましたし、毎日の練習でも選手層の厚さは感じていましたけど、それが一番出たのが(5月6日のアルビレックス)新潟戦。それまでチャンスが少なかった選手たちが出て、いい内容で3-2で勝てたので、チーム力が着実についていることを表現できた試合でした。

――扇原選手が入っているボランチに関しても、日本代表経験のある井手口陽介選手、個人昇格してきた鍬先祐弥選手らが加入し、競争が一段と激化しました。

 陽介に関しては本当にいい選手だと知っていたし、クワも入ってスタメン争いが激化するのを承知のうえでシーズンに入りました。自分にとっては本当にいい刺激になっているし、日々、切磋琢磨しながらここまでやれていると思います。秋からはACLも入ってきて、本当に試合数が多くなる。みんなで一丸となって戦っていく必要があります。

2023年J1優勝時にチームメートと歓喜を爆発させる扇原貴宏 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

――扇原選手の神戸加入は2022年。そこから2シーズンはフル稼働できずに苦しみました。

 そうですね。その前にいたマリノスはどちらかというと攻撃的かつ組織的でしたけど、神戸に来てから個人で局面打開や違いを作ることを求められた。そのギャップやスタイルの違いに直面して自分のプレーを表現できずに苦しみました。加えてケガもしてしまった。長期間ゲームから遠ざかるとコンディションがなかなか上がらなくなってしまう。そういう課題をクリアすることにだいぶ時間がかかりましたけど、徐々に適応していって、昨季は途中から出られるようになり、優勝することができました。

――だからこそ、今季はフル稼働してタイトルをつかみたいですね。

 本当にその通りです。シーズン通して試合に出て優勝したいって思いはすごく強いですね。個人として何かを成し遂げたいというよりは、チームとして全員で優勝して喜びたい。タイトルが選手としての一番の価値になりますからね。

キャリアの転機はマリノス時代。今までの移籍で後悔したことは一度もない

マリノス時代の2019年に自身初のタイトルを獲得し、シャーレを掲げる扇原貴宏 【Photo by Masashi Hara/Getty Images】

――扇原選手は2010年にセレッソ大阪でトップ昇格し、プロキャリアをスタートさせてから今年で15年目になります。4クラブでプレーし、横浜・神戸でJ1タイトルも手にしていますが、改めてプロ生活を振り返っていただけますか?

 今、思い返すと、移籍するたびにいろんなことがありました。セレッソから名古屋へ行った2016年夏は最初にケガをしてしまって、ほとんど試合に出られず、苦しい時間を過ごしました。次の2017年にマリノスへ行きましたけど、マリノス時代も残留争いを強いられた翌年に優勝したりと浮き沈みが激しかったですね。神戸でも先ほども話した通り、試合に出られない時期があった。
 いいことも悪いことも数えきれないほどあったキャリアですけど、それが自分らしいキャリアなのかなと。その中でまだ成長できていると思うので、これからもっともっと成長していきたいですね。

――アカデミーから10年以上を過ごしたセレッソを離れたときはこちらも驚かされました。

 僕自身もトップ昇格した時点では他のチームでプレーする想像などしていませんでした(笑)。でもプロとしての時間を過ごしていくうちに『他のチームでやってみたい』という気持ちが湧いてきた。そういうときに名古屋だったり、次のマリノスだったりが僕を見てくれた。それで外に出る決断をしたんですけど、本当に違うクラブに行ってみないと分からないことはたくさんありますね。
 1つのクラブで長くやり続ける人もいますけど、僕はどちらも正解だと思いますし、自分がいる環境で100%の力でやることが一番。自分は今までの移籍で後悔したことは一度もないですし、いい選手とたくさん出会えて、数多くの刺激をもらえた。全てが今の自分につながっているのでよかったと強く思っています。

――扇原選手が特に目覚ましい飛躍を遂げたのが、2019年J1制覇した時代。特にアンジェ・ポステコグルー監督(現トッテナム)との出会いは大きかったですね。

 そうですね。マリノス移籍2年目にアンジェがやってきて、今までに触れたことのないサッカー観を与えられ、本当にやりがいを感じました。僕自身のキャリアの分岐点になったのは間違いないと思います。
 とはいえ、最初はものすごく苦労しました。アンジェが来る前と来た後ではサッカーが180度変わったのは確か。マリノス自体も大きな転換期だったと思います。ハイラインの攻撃的スタイルで負けることも多くて、1年目は本当に苦しみました。それでもアンジェは『ブレずにやり続けて優勝する』と言い続けて、僕ら選手もついていった。さまざまな困難を乗り越えて2019年最終節(FC東京戦)で優勝した瞬間は今も鮮明に覚えていますし、自分にとっては初めてのタイトル。素晴らしい経験ができました。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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