ファームに新規参加 新潟&静岡が描く未来構想

チーム唯一の高卒1年目投手が狙うドラフト指名 くふうハヤテでの取り組みと"野茂の女房役"からの教え

前田恵

新球団・くふうハヤテで唯一の高卒1年目選手として入団した大生虎史。大学、社会人チームでなく、くふうハヤテを選んだ理由とは? 【写真:岩国誠】

 新球団くふうハヤテの最年少選手・大生虎史。スリークオーターから繰り出されるMAX148kmの速球で注目され、プロ志望届を出しながら、昨年10月のNPBドラフト会議で指名漏れして涙を呑んだ。プロ入りの叶わなかった同い年の選手のほとんどが大学や社会人野球、独立リーグに進むなか、あえて未知の道程に挑む大生が「ハヤテ一番の有望株」と呼ばれる所以は?

ドラフト指名漏れに「笑うしかなかった」

自主トレで遠投を行う大生虎史。糸を引くようなキレイな軌道を意識しているという 【写真:岩国誠】

「最初はなんかもう、何も考えられなかったですね」

 “そのとき”を思い出し、大生は苦笑した。

 2023年10月26日、巨人が育成7位を指名したところで、NPBドラフト会議は12球団すべてが指名を終えた。「大生虎史」の名は、ついに最後まで呼ばれなかった。

「ドラフトに掛かる世代は――自分たちの代も、4つ上の大学生も、レベルの高い選手揃いなのはわかっていたんですよ。だけど、どこかしらで自分も引っかかると思っていた。育成でもよかったんです。なのに、選ばれなかった。本当、(みんなの前では)笑うしかなかったですね」

 中学(豊田リトルシニア)時代は、サイドスロー。大分・柳ヶ浦高校入学後、スリークオーターに転じた。実家のある岐阜を離れ、柳ヶ浦への進学を決めたのは、「甲子園に行きやすく、プロを輩出している学校」だったからだ。
 
 当時、柳ヶ浦の投手コーチは同校OBの山下和彦(元近鉄ほか=現大分B-リングス監督)。この出会いが、大生を大きく成長させたと言っていいだろう。

「まず教わったのは、“走る体力”でなく“投げる体力”を付けることでした。たくさん投げていかなければ、“投げる体力”は付かないんだ、と。だから昔の投手は皆、投げることで(ピッチングの)感覚を覚え、同時に体力を付けていったんですね」

 “投げる体力”を養う方法として、大生は練習の中に遠投を多く取り入れた。ただ“腕を思い切り振って投げる”のではない。伸びるボールを意識し、そのフォームの力感を体に覚え込ませていくのだ。

 理想の遠投とは山下に言わせると、こうだった。

「いいピッチャーの遠投はボールが山なりでなく、糸を引くように真っすぐ、キレイな軌道を描くんだ」

 NPB時代、パ・リーグを代表するエースだった阿波野秀幸、野茂英雄(共に近鉄ほか)の球を受けた山下の言葉である。大生のボールも次第に伸び、やがてそこに強さとスピードが加わった。高2の春に計測したストレートのMAXは140km。“投げる体力”が付いたところで、鈴木聡監督にウエイト・トレーニングの取り入れ方を教わった。

「(自分の代の)新チームが始まったときにMAX145kmが出て、一気に(ドラフト候補として)注目され始めました。でも、自分たちの代は結構“プロ注”の投手が多かったので、そのころは“まだまだ足りない。もっとやらなきゃ”という気持ちのほうが強かったですね」

 スピードを意識し、三振を狙う。「チームのため」より「自己満足のため」のピッチングに走った大生は、2年秋の大会で明豊にめった打ちを食らってしまう。

「そんなピッチングをしていたら、ケガをするぞ」

 2年の冬、山下は大生にそう言い、「プロで長く投げるためのピッチング」を授けてくれた。

「すべての球を思い切り放るんじゃない。軽く投げても速く見える球――実際の球速は140km台なのに、バッターが150km台に感じる球を投げられるようにするんだ」

「長いイニングを投げるために、球数は少なく」

「ストライクの7、8割は140km中盤の球で取れるのが理想だぞ」――。

 迎えた3年春の県大会で、明豊と再戦。敗れはしたものの、大生は自分の投球に対する相手の反応が、秋とは違うことに気が付いた。秋は145kmの速球が、あたかも140km程度の球を弾き返すかのように軽く打たれた。ところが春は、球速140kmの球が“速球”として機能した。

「速さだけではバッターを打ち取れない。球の強さや伸びがあってこそ、三振を取れるストレートになることを学びました。これを極めていけば甲子園にも、プロにも近づける、と思いましたね。だから秋から春に心掛けた練習を、また夏まで続けていった。スピードを意識しなかった結果が、3年夏のMAX148kmにつながったのだと思います」

ドラフト後すぐにハヤテのトライアウトへ

昨年11月3日に行われたくふうハヤテのトライアウト。大生は持ち味の速球を披露した 【写真は共同】

 甲子園出場こそ叶わなかったが、NPBのスカウトが複数、大生のピッチングを見に練習試合を訪れるようになった。これで“もう一つの夢”に手が届くんじゃないか。そう信じてプロ志望届を提出し、誘いのあった大学に断わりを入れた。

 ところがまさかの指名漏れ、である。ドラフトが終われば、間もなく11月。社会人野球も、新人枠はほぼ埋まっているだろう。残り少ない枠を探すか、独立リーグに道を求めるか。選択肢は限られた。

 そんな折、大生は鈴木監督から静岡に誕生する新球団「くふうハヤテ」の名を聞く。独立リーグでプレーしていた兄・竜万も、11月初旬に行われるくふうハヤテのトライアウトを受けに行くという。ファームとはいえNPBの球団と公式戦を戦い、1年目からNPBドラフト指名の対象になることができる新球団だ。その魅力に加え、尊敬する兄が一緒という心強さも後押しし、大生は迷わずトライアウト受験を決めた。

「トライアウトで対戦するバッターは、当然高校野球より上のレベルの人ばかり。でも逃げ腰にならず常に攻める気持ちをもって、高校生らしく腕を振ろうと思いました。1日目、2日目とも、ブルペンでのMAXは147km。バッターに対してもブルペンと同じように腕を振り、球の伸びや力感を緩めることなく投げることができたと思います。何よりここに落ちたらいよいよ(進路の)選択肢が狭まるので、必死でした(笑)」

 MAX148kmのストレートに縦と横のスライダー、縦のカーブ、そしてフォーク(ただし、習得中)を持つ17歳。大生は唯一の高卒新人投手として、ハヤテの創設メンバーになったのだった。

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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