“天才打者“秋山翔吾が語る「凄い打者トップ5」 自らの生きる道を定めたライバルと先輩とは?
2015年にプロ野球新記録となるシーズン216安打をマークした秋山。そこにはライバルたちの存在があった 【写真は共同】
今回は、西武時代にシーズン最多安打記録を樹立し、侍ジャパンやMLBでもプレーした経験豊富な“天才打者”秋山選手が「凄い投手」に続いて語った「凄い打者トップ5」を紹介したい。
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大きな刺激を受けた同学年のライバル
一番上に記したのは、柳田悠岐(ソフトバンク)だった。同じ1988年生まれであり、全国的にはほぼ無名だった高校時代を経て大学からプロ入り。左打者の外野手という点でも重なる同学年のライバルだ。秋山は言う。
「僕が先に試合に出ていて、後からすごいスケールの選手(柳田)が(1軍に)上がってきた。それを間近に見て、自分を受け入れざるを得なかった。ある意味、自分の生きる道をハッキリと、明確にしてくれたのが、彼だった」
プロ1年目の2011年、柳田は1軍出場6試合(秋山は110試合)だったが、フルスイングを貫いて3年目の2013年に打率.295、11本塁打、41打点、10盗塁、翌2014年目には打率.317、15本塁打、70打点、33盗塁をマークした。一方の秋山は、2013年に打率.270、13本塁打、58打点、13盗塁と柳田とほぼ同じ成績を残したが、続く2014年は打率.259、4本塁打、47打点、3盗塁と苦しみ、柳田に“追い越された”形となった。そこで秋山は、自分自身に問うたという。
「(柳田に)何なら勝てるかなって…。自分が先に(1軍の試合に)出ていたという思いもあった。このまま(柳田に)負けて、世代の中で消えていくのも嫌だった。チーム(西武)の中でもそういう(危うい)立ち位置にちょっとあったので、何ならこのチームに残って勝負できるか、何なら彼(柳田)と戦えるのかといった時に、ヒットの数、打率ということだった。もうホームランは打てなくていいやって」
一発長打への憧れを捨て、確実性に特化する道を選んだ秋山は、2015年にプロ野球記録となるシーズン216安打をマークする。一方の柳田も2015年にトリプルスリーを達成。お互いが刺激を受け合いながら、日本球界の歴史に名を刻むことになった。
自身の5年後の指標となってきた先輩
「練習量がもう半端じゃないです。1年目入った時から“栗山の姿を見て練習しなさい”と言われましたし、振る舞いも含めて、ずっと示し続けてくれた」
全体練習を終えた後、室内練習場での居残りバッティングが恒例だった。秋山は当時の光景を苦笑いしながら思い返し、そして感謝する。
「栗山さんのバットの音が消えない。(全体練習を)先に上がってマシンを黙々と打っているわけですよ。そこで僕が後から行って、栗山さんより先に打ち終わるなんていうことはしちゃいけない。栗山さんがボールが床一面に広がり切るぐらいまで打つっていうのはみんな知ってるんで、それ(栗山選手よりも長く打ち続けること)ができない選手は横のケージには入らない(苦笑)。でも、それに負けたらもう(選手として)勝ち目ないなと思って、横で打ってたこともありましたね。5年先輩だったので、5年後に自分が栗山さんと同じような姿を見せられるか。その指標として、すごくありがたかった。ずっと見て、追いかけていましたね」
栗山は41歳となって迎える今季も現役を続行する。当然、秋山もその姿を見て、自分自身の5年後の未来と重ねているようだ。