日本拳法10冠の前田稔輝が挑む壁 「自分の器が試される日」ボクサーとして2度目の大一番にかける覚悟

船橋真二郎

2月22日、後楽園ホールで松本圭佑の日本フェザー級王座に挑戦する前田稔輝 【写真:船橋真二郎】

自分の器が試される日

「ボクサーとして次のステージに飛躍するための、ひとつの壁だと思ってます」

 日本拳法からボクシングに転向して5年。日本フェザー級1位の前田稔輝(まえだ・じんき、グリーンツダ)が“2度目”の大一番を迎える。2月22日、東京・後楽園ホールで9戦全勝7KOを誇る24歳の日本フェザー級王者、松本圭佑(大橋)に挑む。

 2022年12月、プロデビュー以来、無傷の10連勝(5KO)でフェザー級2冠王者(日本、WBOアジアパシフィック王者)の阿部麗也(KG大和)に挑戦。プロ28戦目の王者にキャリアの差を見せつけられ、判定負けでタイトル奪取を阻まれた。

 序盤に阿部のパンチでアゴを2ヵ所骨折しながら、前田は初の12ラウンドを戦い抜く精神力を見せた。「心打たれる試合やった」と周囲の反響は大きかったと振り返るが、「アゴを折られたのは、自分の弱さであり、甘さ」ときっぱり。強い意志を感じさせる真っ直ぐな目が印象的だ。

 再びタイトルに挑む27歳の挑戦者に対し、王者の松本は「壁」となるに相応しい経歴を持つ。元東洋太平洋、日本フェザー級王者で世界に3度挑戦、指導者として川嶋勝重、八重樫東を世界王者に導いた松本好二トレーナーが父親というボクシング界では有名なサラブレッド。その歩みをテレビ番組が定期的に紹介するなど、幼いときから期待と注目を集めてきた。

 実績も申し分ない。15歳以下の全国大会で小学5年から中学3年まで5連覇。ライバルたちとしのぎを削った高校時代は全国優勝1度、準優勝4度。東京農業大学1年時の全日本選手権で準優勝し、2年で中退するまで95戦(80勝15敗)のアマチュア戦歴を重ねた。

 昨年4月の王座決定戦で元王者の佐川遼(三迫)、8月の初防衛戦ではナイジェリア人ボクサーのリドワン・オイコラ(平仲ボクシングスクール)と難敵を連破。プロでも着実に経験を積み、世界ランク(IBF13位、WBO14位)にも名前を連ねる。

「僕は4回戦からスタートして、ここまで来ましたけど、アマチュア出身の選手に対して、自分もただの新人上がりじゃないぞっていうプライドは持ってるんで」

 小学1年のときに突き、蹴り、投げ技、寝技ありの総合格闘技、日本拳法と出会った前田は、それから主将を務めた大阪商業大学を卒業するまでに通算10度の全国大会優勝を果たした。

 日本拳法の国内トップ選手の看板を背負って、プロボクシングに飛び込むと決めたときから、心に固く誓った目標は世界。2度目となる日本タイトル挑戦に強い覚悟を示した。

「この壁を超えられへんかったら、前と同じということになるし、ここを超えないことには世界には行けない。『自分の器』が試される日かなと思います」

幼い日の人生の選択

日本拳法からプロボクシングへ。前田の傍らには父・忠孝さんが寄り添ってきた 【写真:船橋真二郎】

 この異能のサウスポーの傍らにも常に父親が寄り添ってきた。現在も前田の専属トレーナーを務める忠孝さん。父親として、ひとつの信念があった。

「自分の進路、人生の選択は、絶対に本人にさせようと。やりたいことを自分で決めて、やってもらいたいなと考えていました」

 テレビのチャンネルを合わせると、幼い息子がかじりつくようにして見る競技があった。当時、魔裟斗が活躍し、隆盛を誇っていたK-1だった。地元の大阪・守口市民体育館の武道場に空手の見学に連れて行った。が、興味を示さない。

 帰り際、同じ武道場の空手と別の一画で、剣道のような面と防具を身に着け、両手にグローブをはめて練習している見慣れない格闘技が目にとまった。「やりたい!」。息子の目が輝いた。

 とはいえ、最初から才能を発揮したわけではない。大会では1回戦負けばかり。それでも道場では先輩のお兄さん、お姉さんたちにかわいがられ、楽しそうに練習に通っていた。

 小学2年の終わり頃だった。ローカルの小さな大会で準々決勝に勝ち上がった。そこで敗れはしたものの、大健闘という結果。ところが息子の目から大粒の涙があふれた。

 忠孝さんは初めて息子が見せた悔し泣きに応えた。未経験から一緒に始めた日本拳法に本腰を入れた。大会に出て実績をあげ、段位を上げて、指導者になることを目指した。

 道場だけでなく、家に帰ってからも親子2人で練習に励み、息子は小学3年の秋に全国大会で初優勝、高学年になる頃には忠孝さんが指導者資格を取得。親子の人生が動き出した。

「今もそうなんですけど、昔から不器用な子で、すぐに上達するようなタイプじゃないんです。ただ、コツコツとやり続けて、人より少し遅れてもできるようになるまでやる。できなくても、負けても、逆境をはねのけて、やり抜く力があると感じます」

困難にも貫いた初志貫徹

 前田親子には日本拳法時代、10冠の中でも特に思い出深いタイトルがあるという。

 前田がWOWOWの『エキサイトマッチ』で海外のボクシングを見て、「こんな世界があるんや」とひかれたのは中学生の頃だった。フロイド・メイウェザー(米)、マニー・パッキャオ(比)、世界の一流選手が躍動する海外リングの華やかな光景に目を奪われた。

 ボクシングをやるなら、少しでも早くキャリアを積んだほうがいい。高校卒業後の進路を2人で話し合った。結論は、日本拳法の集大成として、プロボクシングで自分を売り出す無二の肩書として、大学日本一を勝ち取ることで一致した。だが、思いもよらない試練に見舞われる。

 大学入学直前、部員の不祥事により日本拳法部が無期限活動停止処分を受けた。大学を辞め、ボクシング転向を早める方向に傾きかけた。が、関係者と話し合う中で話に上がったのが、前田が個人で活動して、実績を残すことで状況が変わるかもしれない……。

 一縷の望みにかけた。忠孝さんと道場で練習し、個人で大会に出場。孤軍奮闘の活躍が事態を動かした。1年で大学の無期限活動停止が解かれることになった。

 大学2年のとき、「全日本学生拳法個人選手権大会」に出場。見事に優勝する。困難に負けず大学進学決断時の初志貫徹を貫いた。前田の意志の強さが表れたエピソードではないだろうか。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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