この3年、田中恒成が目指してきたボクシングとは 「もっと大きな舞台で今の自分を表現したい」

船橋真二郎

2020年の大晦日、田中恒成は井岡一翔の前に4階級制覇を阻まれ、プロ初黒星 【写真は共同】

「完敗」から立ち上がる

「こんなに差があったのか」――。2020年12月31日、東京・大田区総合体育館で4階級制覇に挑んだ田中恒成(畑中)は、井岡一翔(現・志成)に2度倒された末、8回TKO負け。プロ16戦目、世界戦10戦目にして初めて敗者としてリングを降りることになった。田中の2021年は「完敗」を受け止めることから始まった。

 再始動した田中が着手したのがディフェンスの改善だった。まず指摘されてきたガードの甘さを意識。スピードなど、自分の武器はいったん置いて、1からボクシングを再構築しようとした。そして、「今まで逃げてきたこと、苦手なことと向き合った」という試行錯誤の1年の先にあったのが、2021年12月11日の石田匠(井岡)との再起戦だった。

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「リボーン(再生)」と銘打った一戦で、田中はしかし、精彩を欠く。際どい2-1の判定勝ち。何より被弾が目につき、掲げてきたディフェンスの改善は見られなかった。

 要約すると「緊張せず、落ち着いて、楽しくできたのでよかった」という試合後のコメントを含め、率直に言って、「何がしたかったのか、何を目指してきたのか分からない」というのが当時の感想だった。だが、3月から4月にかけて敢行したアメリカ長期合宿を経た2022年の田中の状態ははっきりと上向く。

「自分の原点に戻った」という6月の橋詰将義(角海老宝石)戦、「(求めてきた)技術的なことより、地力で勝ったほうがデカい」と振り返った12月のヤンガ・シッキボ(南アフリカ)戦と、一見して従来の田中のボクシングと変わらないようで、折々に進化の萌芽は見えた。

「プロデビューして10年目になりますが、この1年がいちばん伸びた実感があります」

 一方で、シッキボ戦後のリングでアピールしたように、年が明けた5月のパブロ・カリージョ(コロンビア)戦では、田中自身の中では「ある程度は出せた」くらいではあったにせよ、よりくっきりと目指すボクシングが見えてきたと感じた。

「俺って、こんなもんなのか……」と、どこか「あきらめがあった」と告白する2021年から、田中はどのように前を向き、「いちばん伸びた」という1年につなげたのか。この3年を振り返ってもらうとともに、自身の見据えるボクシングと手応えについて訊いた。

自分が頼っていたものを捨てて……

2022年12月、当時WBO4位のヤンガ・シッキボに判定で完勝 【写真:ボクシングビート】

――昨年12月のシッキボ戦のとき、デビューから9年ですよね、プロでやってきた中で2022年の1年がいちばん伸びた実感がある、と。

 ああ。思い出しました。そんなこと言ってましたね(笑)。

――どんなところで実感しましたか?

 実感で言ったら、スパーリングが変わりました。やっぱり、よくもらってたんですよ、パンチを。試合では世界チャンピオンとか、世界ランカーに、ほぼ負けなしで来てましたけど、スパーではランカーじゃない人とか、もしくはA級でもない人にやられたりとか、あまりよくないことが多くて。まあ、いいときもあるし、悪いときもあるんですけど。

――波が大きかった。

 で、それをスピードでとか、力ずくでとか、とりあえず攻めて、攻めて、押し潰していくような。まあ、試合でもそうだったと思いますけど、スパーリングでもそんな感じで。それがパンチをもらわなくなったのがいちばんですかね。

――井岡戦のあと、まずテーマにしたのがディフェンスでしたよね?

 はい。最初は「もっとガードを上げるぞ」って、当たり前のことから取り組んで(笑)。

――外から見ていて、井岡選手に負けて、ボクシングを変えようとしていた最初の頃は、自分を1回、ぶっ壊してしまうというか、捨ててしまうというか、そういう心境なのかな、と想像していたんですが。

 そんな感じですね。自分が頼っていたものを捨てて、じゃあ、何で勝負をするの? っていうところから。スピードとか回転力を生かして、どんどん攻められるんだけど、それがなかったら誰にも勝てない自分なのか。だから、それを捨てて、ディフェンス面から取り組みました。自分の武器を1回捨てて、それにはさわらずに。

――それ以外で勝負できる自分をつくり上げようとした。

 そうですね。

――しんどい作業ですよね?

 まあ、楽しくなかったですね。スピード感とか、自分の動きに酔うじゃないけど、「動いてるな」みたいな感覚とかがないんで。自己満足も含めて、そういう動きが好きだったのに、そういうのがなくなって。いわゆるキレイにまとまって、バランスもよくなるし、いいことなんですけど、もどかしいな、と思いながら。

――それでも取り組み続けてきて。

 そうですね。打つ前、打ってるとき、打ち終わりのガードに始まって、ディフェンス面から。でも、ガードを上げると動きが制限されちゃうじゃないですか。どんどん自分の動きが悪くなるし、弱くなってるな、とか思いながらも。

――そういう状態で迎えたのが石田戦だった。

 まあ、メンタルが最悪でしたね。スパーリングでも結果が出ないし、どんどん弱くなっていくし、何をやったらいいか分からないし。「ああ、俺って、こんなもんなのか……」みたいな。自分に対して諦めがありました。だから、ちょっと(ボクシングに対する)興味も薄れてたし。

――そうだったんですか……。

 というのが、あの試合に向けてはいちばんでした。あと10戦やって引退しようとか、そんなことを考えたりもしたし。

――区切りをつけて、自分を奮い立たせようとした。

 そう。区切り。あとこれだけなら頑張れるな、じゃないけど。まあ、10戦って長いけど(笑)。自分に諦めてました。そういう時期でしたね。

自分に対して「もっと本気でやれよ」と

地道にディフェンスの改善に取り組んできた 【写真:船橋真二郎】

――その気持ちを切り替えられたのは?

 それは石田戦が終わって、すぐ変わりました。こんな気持ちなら、ほんとにやめたほうがいいなと思ったし、でも、やめるっていう選択肢は、やっぱり自分の中にはなかったんで。だったら、もっと本気でやれよと。自分に対して思いました。

――で、3月からアメリカ合宿に。

 そうですね。前にも行ったことはあったんですけど、しっかり、長く、ラスベガスに。本気でやろうと考えたときに、環境をつくるのも自分だし、そこに行けば強くなれると思うなら、お金も気持ちもかけようと。トレーナーとか、今日の練習のときにいたメンバー(※)、これから一緒にやっていくチームも連れて、自分がもっと活躍することをイメージして。その自信があるなら、お金、時間、何も惜しくないはずで。でも、信じ切れてないから、守りに入っちゃってる自分も全部取っ払おうと思って。それが最初のきっかけです。

※井岡戦後から父・斉(ひとし)さんに代わってコンビを組んだ村田大輔トレーナー、体のケアなど、心身両面でサポートする林隆仁さん、このときは先に個人的に渡米しており、現地で合流した畑中ジムの後輩の神谷啓太さん。

――思い切って飛び込んだことで変わった。

 変わりましたね。それが(イスマエル・)サラスのジムに行ったときだったんですけど、違う教え方の中で新鮮な気持ちで練習しているうちに、すぐスパーリングで変化が出る自分がいて。「あれ? 俺、強いじゃん」って、いい感じになってきて。それはアメリカに行ったからというより、その前の1年があったからこそなんですけど。

――取り組み続けてきたディフェンスの成果が出てきた。

 そうですね。で、あとは強い選手がたくさんジムに練習に来ている中で、やっぱり、いちばん自分のスピードが速くて。あらためて、これは俺の武器だし、特別なものなんだなと感じることができたのも大きかったです。

――それが「原点に戻った」という橋詰戦につながった。

 もちろんスピードを生かすためにも、ディフェンスを意識して、その中で自分を取り戻そうとしたんですけど。ガードから始まって、ディフェンスが分かってきたら、距離感、タイミングも分かってきて、その距離感、タイミングが今度は攻撃にも生きてきたり、ディフェンスが攻撃につながったり。そういうものを意識してたら、今度は相手の気持ちが分かるようになってきて、とか。そうやって、どんどん広がっていった感じです。

――やってきたことがつながって、先ほどの話でパンチをスパーリングでもらわなくなってきた。

 はい。だから、勢いでやってるような若い選手とかとやったら、打ってくるタイミングとか、やりたいことが分かるし、これをやられたら嫌なんだなということも瞬間、瞬間で分かるようになってきて。井岡さんとやったときの俺って、こんな感じだったのかなって。能力だけであそこまで行っちゃってたんだな、これでよく勝ってきたなって自分で思いました(笑)。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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