日本拳法10冠の前田稔輝が挑む壁 「自分の器が試される日」ボクサーとして2度目の大一番にかける覚悟

船橋真二郎

アゴに残るチタン製のプレート

父・忠孝さんとミット打ち。アゴの骨折、初黒星にも前田は早々に前を向いた 【写真:船橋真二郎】

 手術をした前田のアゴの2ヵ所には、今でもチタン製のプレートが残されている。そのままでもボクシングに支障はない。取るには再び手術を要し、その分、時間をロスすることになる。

「絶対にやり返す、また阿部選手がいるところまで行って、リベンジするという気持ちは負けたときから持ってました。辞めるとか、別に悩む必要もなかったし、休んでるヒマはないんで」

 阿部戦から1ヵ月。2023年の年明け早々にはロードワークを始めた。やれることから練習を再開、メニューと強度を加えていき、わずか6ヵ月で戦線復帰。もちろん腕ならし程度の相手ではあったが、タイに遠征して3回KO勝ちで初黒星から立ち上がった。

 さらに2ヵ月後の8月には元世界1位のタイの老練、マイク・タワッチャイを7回KOで下し、本格的な再起を果たした。

 阿部戦の内実は壮絶だった。2回に右フック、3回には左ストレートで下アゴの2ヵ所を骨折。「感覚としては、下の歯が全部ないような」。歯を食いしばれないから力が入らない。すぐに外れかかるマウスピース、口の中にあふれる血、断続的に襲ってくる痛みとの戦いでもあった。

 意地だけで戦い抜いたわけではない。苦境にあっても勝利の可能性を見ていた。7回、前田の左で阿部の右まぶたが切れる。口を開けた古傷から血が流れた。

「倒さんでも、コツコツ当てたら、ストップに持っていけるかもしれない」

 前田の武器は日本拳法仕込みの倒す力のある左。試合後、「小突く感じで、怖さはなかった」と阿部は振り返っていたが、噛みしめられない口ではパンチに体重が乗らなかったのだ。

 それでも阿部はワンツーの踏み込み際、左ストレートの打ち終わりに合わせてくる前田の左のタイミングを嫌がり、得意の左を手控えたと語っていた。右目上の傷と照らし合わせた阿部陣営のリスク回避だが、この一点を突く感覚こそ、体に染みついた日本拳法ならではのものだろう。

ボクシングの中で拳法の強みを生かす

経験豊かな島田信行トレーナーからボクシングの技術を教え込まれてきた 【写真:船橋真二郎】

 1年前の前田には勢いがあった。2-1判定とはいえ、ダウンを奪った末、アマチュア3冠からプロに転向した木村蓮太朗(駿河男児)との全勝ホープ対決に勝利すると、日本の実力者2人をKOしたこともあるジュンリエル・ラモナル(比)を鮮やかな左の一撃で2回に沈めた。迎えた阿部戦では、勢いに乗っていた分、どこかに甘さがあったと言う。

「阿部選手が巧くて、思ったようにジャブが当たらなくて。『あれ、どうしよう……』となってるスキを突かれて、アゴを折られたんで。自分の思ってた展開にならなかったときにどうするか。そこの意識と冷静さがなかったですね」

 序盤の重要性を再確認した前回のタイトルマッチの苦い経験を糧にして、「いかに相手を自分のリズム、間合いに引き込むか」を忠孝さんと突き詰めてきた。

 転向時からボクシングの技術は経験豊かな島田信行トレーナーに教え込まれてきた。かつては元WBC世界バンタム級王者、辰吉丈一郎のトレーナーも務めた腕利きとのミットは、3分の間に何度も止まった。

 頭の位置、足さばき、ポジション取り、重心移動、パンチのつなぎ。コンビネーションごとに細かいポイントを噛んで含めるように伝え、また一連の動きに落とし込むことを繰り返した。

 食い入るように見つめていた忠孝トレーナーと2人、鏡の前でフォームを入念にチェックしてから、今度は親子がリングで向かい合う。ミット打ちを終えると、また鏡の前へ。

「島田先生に教えていただいたことを反復して、コツコツ積み重ねていく。その中で拳法のよさをいかに出すか。そこは僕の役目なので」(忠孝トレーナー)

 一瞬のタイミングを逃さない踏み込みの速さが日本拳法のよさ。体重無差別の競技では、大柄な相手と戦うこともある。パワーを生かし、組み伏せにくる相手に捕まえられないように間合いを遠く取る。そこから一気に踏み込み、または踏み込んできたところを逃さず、一撃を決める。逆に小柄で俊敏な相手とのスピード勝負にも対応してきた。

「踏み込みの速さ、独特の距離感とかリズム、当て勘、ここで打ってくるか、みたいなところはボクサーにはない強みだと思うので、生かしていきたいですね。ただ、それだけでは勝てないんで、ベースになるボクシングをレベルアップしながら」(前田)

 昨年12月に予定していた「挑戦者決定戦」は相手のケガで中止になり、急きょ代役に立てたタイ人に2回TKO勝ち。日本上位ランカーとの戦いを乗り越えて、タイトルマッチに臨みたいところだったが、この1年の成長の披露は持ち越しとなった。

親子二人三脚で歩んだ21年

「2人でひとつ」と親子二人三脚で歩んできた前田稔輝と忠孝さん 【写真:船橋真二郎】

 同居する前田に忠孝さんが日々感じるのが「安定したメンタル」を保てていることだ。タイトルマッチの厳しさを思い知らされた上で、気負い過ぎることなく前に進んでいることが伝わってくるという。

 継続して取り組むフィジカルトレーニングに体のケア、栄養や添加物にも配慮した食事など、より時間と意識を傾け、高いパフォーマンスを出すための体作りも着実に進めている。

 日中、忠孝さんは仕事をし、夜はジムへ。日本拳法時代と合わせると20年以上、息子と汗を流してきたが、この5年は勝手が違ったという。

「まずボクシング経験がないんで、最初は覚悟がいりました。でも、だんだん親子で特別なことをやらせてもらっているなと感じて、ありがたいですし、すごく充実してます」

 親子一緒に挑戦することを望んだのは息子だった。グリーンツダジムは大学時代からパンチの練習で出入りしていただけではなく、本石昌也会長が親子での受け入れをOKしてくれたことが決め手になった。

「僕の性格をよく知っていて、いいところ、悪いところをすぐに感じ取ってくれるのがお父さんなので。2人でひとつという存在」

 当日の2月22日は、実は主催の大橋ジムが30年前に開設された記念日になるが、本石会長の誕生日でもあり、親子にとっては恩返しのベルトにもなる。

「松本選手は正統派のボクシングができて、好戦的でもあって、倒せるパンチも持ってる選手。一発で倒す力は自分も自負してるところなので、一瞬でもスキを見せたほうが倒される、緊張感あふれる試合になると思うので楽しみです」

 前田にとって後楽園ホールは「大きなターニングポイントになってきた場所」だった。

 大学1年、日本拳法出身から世界王者になった尾川堅一(帝拳)が日本王者になる瞬間を目撃し、「自分にもチャンスがある」と力をもらった。ボクシング1年目の2019年には全日本新人王になり、日本ランク入りを決めた。そして、注目対決となった木村戦の勝利、タイトル初挑戦で喫した初黒星。元王者の父親のもと、小学3年からボクシング一筋に打ち込んできた松本圭佑と向き合う今回は――。

「1年前のタイトル初挑戦で初めて負けて、アゴを骨折するという大ケガまで負って。そんなに甘くはないねんぞって、厳しさを教えられました。その経験を踏まえて、今回、2度目に挑むので。ここでしっかり勝って、チャンピオンになったら、ボクサーとしても、ひとりの人間としても、大きく成長できると思います」

 試合開始ゴング直前、前田はコーナーで“そんきょ”の姿勢を取り、相手に敬意を示して戦いに臨む。日本拳法時代から変わらない心構え。日本拳法16年、プロボクシング5年、二人三脚で歩んだ経験のすべてをぶつけ、壁を超えにいく。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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