元市船・布氏は黒田監督の町田をどう見た? 高校→J監督 「批判の声は理解できない」

栗原正夫
 1983年から20年、千葉県の船橋市立船橋高校を率いて高校サッカー選手権で4度優勝。その後は日本サッカー協会技術委員などを経て、15年以降はザスパクサツ群馬、松本山雅FC、FC今治、VONDS市原とJクラブや地域リーグの監督を務めてきた布啓一郎氏(63)。24年からはAC長野パルセイロ(J3)でヘッドコーチに就くことが決まっている。

 23年のJリーグでは、元青森山田の黒田剛監督がJ2のFC町田ゼルビアを率い、クラブを初のJ1昇格に導いた。高体連の指導者からプロの指導者へと進んだ第一人者である布氏はどう見たのか。高校生とプロの指導の違いや難しさについても聞いた。

高校の指導者がプロで通じる? は愚問

高体連の指導者からJクラブの監督となったパイオニアでもある布氏 【栗原正夫】

  町田をクラブ初のJ1昇格に導いた黒田監督は、一昨年にオファーを受けた際、高体連の指導者からプロの指導者へと進んだ第一人者であった布氏に相談の連絡を入れていたという。布氏は23年の町田の戦いぶりをどう見ていたのか。

「私が連絡を受けたときは、まだ町田からのオファーがあるとか具体的な話ではなく、教員をやめてプロの指導者へ転向することについて『どうですか?』というものでした。Jクラブの監督といっても、クラブによって規模も予算も様々。困難は当然ある。それでも、挑戦する意思があるのなら、詳細を聞いたうえで『トータルで考え、判断すればいいのでは』ということだったと思います。『後悔しなかったですか?』と聞かれたので『後悔はしていない』と伝えたはずです。

 J1へ昇格した町田の結果を見れば、黒田監督の青森山田での経験が活きたことは間違いない。黒田監督が青森山田に就任した当時、青森県の高校サッカーのレベルは決して高かったわけではないし、練習試合をするにしても交通の便がいいわけではなく、苦労も多かったはず。そこから紆余曲折を経て、常勝チームに築き上げたわけですからね。

  もちろん町田というクラブに予算が多く入ったタイミングだったことは、後押しになったでしょうが、それも彼が持っている運。就任時は私のときもそうでしたが、周囲からは『高体連の指導者がプロで通じるのか』という声もあったようですが、そうした声がどうしていまだに出てくるのかは理解できません。ユース年代の18歳という年齢は、欧州に行けばチャンピオンズリーグに出ている選手も珍しくない。そういう点から考えてもユース年代とプロで、サッカーを行なう上での指導が大きく異なるわけではないし、高体連の指導者が『プロでできる、できない』って話は愚問な気がします」

高校サッカーとプロの違い

ピッチでの指導については高校生もプロも、大きな変わりはないとする 【写真提供・VONDS市原】

  戦術や技術などサッカーの指導という点で、高体連もプロも大きく変わることはない。だが、マネジメントは異なる。

 23年度、町田には黒田監督の青森山田時代の教え子だった選手が3人(MF宇野禅斗、MFバスケス・バイロン、DF藤原優大)いたが、布氏も昨季はVONDS市原で市立船橋時代の最後の教え子でもあるDF渡辺広大とともに戦った。

「違いがあるとすれば、選手の年代の幅の広さ。高校年代は16歳から18歳の3学年しかないのに対し、プロは10代から30代後半くらいと幅広い年代の選手がいて、家庭を持っている選手も少なくない。年齢層が広いぶん、接し方は異なります。

 たとえば、年齢層が広いということでは連戦が続く時期などは選手によって回復具合も違うので、コンディショニングの部分などでは相談が必要だったり、気をつけることも出てきます。

 それと高校サッカーはアマチュアですが、Jリーグはプロですから、すべては結果で判断されます。ここは大きな違いで、高校選手権はどんな結果になっても最後は父兄や学校関係者も周りは拍手で迎えてくれますが、プロはそういうわけにはいきません。町田で1つの結果を残した黒田監督と違い、私はJクラブでの成功体験は少なく、最終戦のあと怒号のなかで終わった経験が何度もありますからね(笑)」

 高校年代の選手を長年指導してきたことが、逆に活きる部分もあるのだろうか。

「高校年代は選手が伸びる時期ですし、たとえば短期間の高校選手権の間に、一気に伸びる選手もいます。そうした選手がのちにプロ入りし、どのように成長していったかを多く見てきた経験は強みになるはず。黒田監督はポジティブだし、いい意味で野心がある。そういう部分も昨年はいい方向に出たのでは……」

Jクラブを率いたことで感じた苦労

 高校年代の指導は3年周期が基本となるが、プロでは場合によって即結果を求められたり、短期間で多くの選手が入れ替わることも少なくない。布氏はJクラブを率いるなか、そんな経験を繰り返してきたとも話す。

「私は、18年から19年にかけて率いた群馬(J3)でも20年の松本山雅(J2)でも、ちょうどクラブがJ2からJ3、J1からJ2に降格したタイミングで引き受けました。そういう状況では、主力選手が引き抜かれてしまい、立て直すのは簡単ではなく時間がかかります。群馬のときは幸い2年目で再び昇格できましたが、松本ではシーズン前に望んだ選手を獲得することもできずに、編成面の苦労を感じました(結果、シーズン途中解任)。

 21年のFC今治(J3)でもシーズン途中での就任で、難しさがありました。ようやくチームに明るい兆しが見えてきたと思いながらも結果には結びつかず、シーズンを(監督として)終えることができませんでしたから。

 プロである以上、結果が求められるのは当然ですが、選手の特徴を把握し、人間関係を築き、選手たちの組み合わせの最大値をみつけ出すまでには一定の時間はかかります。チームは即席でできるものではなく、仮に監督が交代して一時的にはよくなっても、また時間がたてば後退してしまうということはよくあるじゃないですか。もちろん、予算や時間に限りがあって、そのなかで結果を出さなければいけないのは理解していますが、その辺の難しさは痛感しました」

 予算や規模が異なるのに、プロで指導者に求められるのは、いつも優勝や昇格という目に見える結果だ。ただ、布氏は経験上、クラブによって目標を変えることも必要ではと提言する。

「解任の際に決まって言われるのは、『(負けが込み)このままだとサポーターを抑えきれない』『スポンサーが離れてしまう』ということです。ただ世界を見れば、たとえばザルツブルク(オーストリア)やライプツィヒ(ドイツ)などのようにチャンピオンズリーグに出ているようなクラブでもチームの平均年齢が21から22歳くらいの若さで、多少負けても選手を育成することに割り切った戦いをしていますよね。かつて、イビチャ・オシムさんがジェフ市原・千葉で監督をされていたときには残留が目標とはっきり言っていたこともありますが、Jリーグではどこかそうした姿勢が許されない部分を感じます。戦力の差が大きいのに、どのクラブでも優勝、昇格をめざすというのは、少し無理があるように感じますし、その責任を監督1人に向けても本質は変わらない。日本でもそろそろ予算や規模の違いに応じて、優勝や昇格を目指すクラブ、育成に特化するクラブなどと、目指すべき道はわかれてもいいのではと強く感じています」

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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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