元市船・布氏は黒田監督の町田をどう見た? 高校→J監督 「批判の声は理解できない」

栗原正夫

道はできたが、続くのは簡単ではない

今後も布氏、黒田監督に続く、高体連出身の指導者は出るかもしれない 【栗原正夫】

 布氏が道を作り、黒田監督が町田でJ1昇格という結果を出したことで、高体連の指導者のなかにも将来、プロを目指す人は出てくるだろうし、指導者にとって可能性が広がったことは間違いない。

「海外であれば選手はジュニアユース、ユースと上がって行く以外の道はあまりないですが、日本は高校や大学からプロになる選手もいるし、指導者にもそう道ができることはいいことだと思います。
 
 黒田監督が結果を出したことは高体連の指導者にとっても刺激になったでしょうし、今後は『高体連の指導者にプロが教えられるのか?』という論調もどんどんなくなっていくと思います。

 黒田監督に続く、指導者も出てくるはずです。ただ、簡単に誰でもが歩める道かといえば、そうではない。そういう意味で、若い指導者には頑張って指導力をつけてほしいと言いたいですね」

 布氏は18年の群馬時代、市立船橋の教え子で、高校選手権で初めてベスト4に進出したときの主将だった安達亮(当時カターレ富山監督)と、Jリーグを舞台に師弟対決を行なったこともある。

 来季、長野パルセイロでヘッドコーチを務めるが、監督は市立船橋OBの髙木理己で、Jリーグを見渡しても、たとえば川崎フロンターレの鬼木達監督や清水エスパルスの秋葉忠宏監督など、布氏の市立船橋時代の教え子は多い。

「同じ指導者として負けられない思いはありますが、同時に多くの教え子がサッカー界で頑張っている状況は、指導者冥利に尽きます。

 もちろん、正直にいえば鬼木がJリーグで何度も優勝する指導者になるとは夢にも思っていませんでした。選手としてはドリブルが得意ないい選手でしたが(91年度に準決勝で市立船橋が帝京に逆転負けを喫した試合に当時2年生だった鬼木は出場していた)、勉強が嫌いなところもありましたから(笑)。ただ、いまの彼を見ていると、指導者として芯の強さを感じます。高校時代の彼を思い出すとよくも悪くも自分のプレースタイルを貫くようなところがありましたし、そうした“オレ流”を通して結果を出しているのは本当に立派だと思います」

(終わり)

布啓一郎(ぬの・けいいちろう)

1960年12月21日、千葉県習志野市出身。日体大を卒業後、83年に市立船橋に赴任。85年度に全国高校選手権に初出場すると、94年度の初優勝を皮切りに4度の全国優勝。インターハイも4度制した。01年にS級コーチライセンスを取得し、03年以降はU-16、U-19日本代表の監督を歴任。15年にファジアーノ岡山(J2)コーチに就任。18年から19年にザスパクサツ群馬(J3)、20年に松本山雅FC(J2)、21年にFC今治(J3)、22年から23年までVONDS市原(関東1部)の監督を務めた。24年からAC長野パルセイロ(J3)ヘッドコーチ

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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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