黒田監督が語る町田のJ1昇格とマネジメント 「誰も信用していなかった」男が青森山田でもがいて掴んだ手腕

大島和人

町田のJ2優勝、J1昇格には黒田監督が青森山田高で培った手腕が反映されていた 【(C)J.LEAGUE】

 FC町田ゼルビアをJ2優勝、J1昇格に導いた黒田剛監督は青森山田高校の指揮を28年にわたって執った指導者だ。全国高校サッカー選手権は2016年、18年、21年と3度制している。他にも全国高校総体、高円宮杯U-18プレミアリーグファイナルを複数回制している「名将」で、育成年代においてその評価は揺るがぬ存在だった。

 ただし彼がプロの監督に就任する一報が世に出たとき、成功を予期していた人は多くなかったかもしれない。Jリーグと高校サッカーはレベルも含めて別物と思われていたからだ。しかし黒田監督は町田で予想を上回る成果を出した。高校サッカー出身「なのに」成功したのではない。高校サッカー出身「だからこそ」の強みも少なからず発揮していた。今季の町田はコーチだけで8名がいる大所帯で、日々のトレーニングは選手も含めて50〜60名の人間が関わっていた。黒田監督はそのリーダーとして集団を効率よく、円滑に動かしていた。

 町田のJ2制覇、J1昇格を振り返るインタビューシリーズ第4回目は、第3回に続いて黒田監督に登場してもらっている。テーマは育成年代とプロに通用する組織づくり、マネジメントだ。

「誰も信用していない」時期があった

09年度の高校選手権で初の決勝進出を果たした当時の黒田監督。コーチとして軌道に乗り始めていた時期だ 【写真は共同】

――黒田さんが昨年まで束ねていた青森山田中・高のサッカー部はコーチも多くいる組織でした。コーチ・スタッフとの役割分担を整理して、チームを会社のように機能させる手腕はプロでも生きたと思います。そもそも黒田さんはマネジメントのスキルをどう身に着けたんですか?

 私も「自分しか信用できない時期」がありました。40手前ぐらいかな……。全国でも10年中9年もベスト16の壁に阻まれて、壁にぶち当たっていたんです。正直「もう優勝なんて無理」「やめようかな」と思ったときもあります。(※青森山田は2002〜06年度は5年連続で高校サッカー選手権の3回戦で敗れて「ベスト16の壁」に苦しんでいた)。

 選手権に行ってもウオーミングアップから、ミーティングから、資料作りから、映像編集から、すべて自分ひとりでやっていました。コーチがいたけどまったく信用してなかったんです。ウオーミングアップにしても、そこで中途半端なモチベーションを作られるのが不安で……。そうやって(自分以外の)指導者を誰も信用していない時期がありました。

――青森山田がもう全国区になっていた時期ですけど、今とは手法が違ったんですね。

 頭でっかちになっていたし、なかなか人の話を聞き入れられなかった。ただ本田圭佑の恩師でもある星稜高の河﨑(護)先生は大学の大先輩で、よくお話をする機会がありました。あるとき河﨑先生から「勇気を持ってコーチに任せてやらせていかないと誰も成長しないし、ずっとこのまま行ってしまうぞ」と助言を受けたんです。

「なるほど」と思いながら、今(青森山田高の)監督をやっている正木(昌宣)に任せてみたんですよ。当時は大学を卒業してから数年しか経っておらず、結構チャラチャラしていた印象だったんですけど(笑)。でも人間は任せればこんなに一生懸命やるんだと、自分の中でも大きな気づきがありました。本当に頼もしいコーチに成長していきましたね。

 部員が100人、200人と増えて、中学も含めれば今は330人です。指導者も教え子がいっぱい帰ってきてくれて、12、3人に増えました。それぞれのカテゴリーに分けて、役割分担をしっかりとしながら、縦軸をしっかりと自分が支えることによって、うまく横に広がっていく状態になりました。

コーチに「責任と威厳」をも持たせる

黒田監督に大きなヒントを与えた河﨑護・元星稜高監督 【写真は共同】

――ただカテゴリー同士、コーチ同士の関係性を円滑にするには工夫が必要ですね。

 Aチームの監督でいる以上、Bチームまであまり降りていかないようにします。やっても手を差し伸べる、引き上げる程度です。そしてBの監督も、Cには手を差し伸べる程度です。下まで降りすぎて、それぞれの指導者たちの威厳がなくなる状況を極力なくす狙いです。そういうピラミッドでやれば合理的だし、自分も結果的に楽でした。そのような組織作りに15年前くらいから入ったら、見違えるようにチーム組織が機能していきました。

――トップとして任せる部分は任せつつ、握る部分は握ることも必要です。コーチ陣がバラバラになることは当然ながら禁物です。黒田監督はプロでその整理、マネジメントをどう進めていたのですか?

 もちろんやることは全員で共有しています。映像はそれぞれで見て、やるトレーニングもみんなで共有しています。整理をした上で、ウオーミングアップはフィジカルの山崎(亨)コーチがいて、「トレ1」は山中真コーチがやり、そこに三田光、上田大貴の両アシスタントコーチも関わる。「トレ2」は明輝(ミョンヒ/金明輝ヘッドコーチ)が見て、最後のゲームは明輝が見ながら俺も関わりながら、最後の完成形を作っていく流れです。リスタートも攻撃が上田(大貴)コーチ、守備は不老(伸行)GKコーチとすべて決めて取り組んでいます。

 ただそれぞれに、しっかりと責任と威厳を持たせるところは絶対に揺るがせない。メンバー選びもそうだけど、最終的な「権限」だけは監督が持ちます。コーチ陣に唯一ないのは権限だけです。コーチは自分のセッションに責任を持って指導にあたってもらいます。青森山田で培ったそういう組織バランスを、町田でも同じようにやっています。

システムを作ればいいというわけではない

町田には黒田監督を含めて青森山田出身者が5名いる 【(C)J.LEAGUE】

――ビジネス書に書いてあるようなことを、青森山田の監督をする中で自然と身につけられたんですね。

 肝心な試合で勝てなかったり、勝てた試合を落としたり、負け続けた時代に挫折をいっぱい味わって、その中で「これが良い」と経験から見つけ出したやり方です。河﨑先生のヒントはあったけど、誰かから聞いてとか、誰かの真似をして獲得したスキルではありません。単純に他と同じような組織、似たようなシステムを作ればいいというわけでもないですね。細部への拘(こだわ)り、選手への有効な伝え方、さらにはチームの進むべき方向の軌道修正が組織マネジメントでは絶対的に重要だからです。そこに目が行き届かない、適切に手を加えられない指導者なら、組織をコントロールすることなどそもそも上手く行きません。

――戦術もそうですけど、運用のディテールが決定的に大事ですね。

 そうです。だからあまり混乱を生じさせないようにやることも大切だし、コーチ陣のプライドもあります。そこは彼らの意見、考えを尊重してあげるスタンスにはしたいと思っています。例えば明輝がマグネットを使って戦術の説明をやろうとしたとき、俺が横から出てマグネットを動かしたり、違うことを少しでも喋ったりしたら、選手が混乱する一つの原因になってしまう。「一人の口から伝える」ことを徹底しないと、「コーチはこう言っていたけど監督はこう言っている」という微妙なニュアンスのズレがどうしても出てきてしまいます。誤解をなくし、理解を深めることが、戦術の浸透にも繋がってくるのです。

――サッカーに限らず、プロスポーツの世界でよく聞く話です。

 組織マネジメントに必要なポイントは、自分の動き方が明確になっていることです。根拠やデータに基づいて、はっきりと具体的に動けるという意味です。それを分かって具体的に動くことによって、色んな失敗があっても「何ができなかったからか」に言及して原則に立ち返ることができるのです。それを見つけるために、あえて自らの行動に責任を持たせ実践させることを志向している側面もあります。

1/2ページ

著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント